サイトマップ RSS

粛清恐れる「解放軍報」 徐才厚氏を痛烈批判 (1/4ページ)

2015.3.20 10:35

2004年7月14日、吉林省長春市で人民解放軍の将兵らを励ます軍総政治部主任時代の徐才厚氏(右)。この2カ月後に制服組トップの党中央軍事委員会副主席に就いた徐氏の地方視察には特に大きく紙面を割いた「解放軍報」だったが、今や手の平返しで徐氏を蔑み、習近平指導部への忠誠をアピールしている=中国(AP)

2004年7月14日、吉林省長春市で人民解放軍の将兵らを励ます軍総政治部主任時代の徐才厚氏(右)。この2カ月後に制服組トップの党中央軍事委員会副主席に就いた徐氏の地方視察には特に大きく紙面を割いた「解放軍報」だったが、今や手の平返しで徐氏を蔑み、習近平指導部への忠誠をアピールしている=中国(AP)【拡大】

 【国際情勢分析】

 昨年3月に失脚した中国の徐才厚(じょ・さいこう)・前中央軍事委員会副主席が15日にぼうこうがんのため死去した。71歳だった。中国の官製メディアは「罪深き人生が終わった」「死んでも罪は消えない」などと徐氏を批判し続けている。中でも厳しかったのは、徐氏が生前に社長を務めたことがある「解放軍報」だ。「徐才厚が残した毒をわれわれが全力で除かなければならない」などとする批判キャンペーンを展開し、習近平指導部に忠誠を誓う姿勢を打ち出した。

 「病亡」の表現で見下す

 「人民日報」などの官製メディアは、徐氏の死去を伝える際に「病亡」という表現を使った。中国の場合は、生前の政治的地位に応じて死を表現する言葉を使い分けている。

 毛沢東(1893~1976年)、●(=登におおざと)小平(とう・しょうへい、1904~97年)クラスの国家指導者は「逝世」、その他の指導者は「病逝」、芸能人やスポーツ選手の場合は「去世」という。「病亡」は死者を見下すニュアンスがあり、政治犯が死去した時にだけ使われる。1990年代まで、文化大革命後に失脚した王洪文・元共産党副主席(1935~92年)などが死去した時にも「病亡」は使われたが、最近はあまり見かけなくなった。

「悲しき恥ずべき一生」

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。

ページ先頭へ