空爆前、欧米の軍事・諜報関係者は、追い詰められた最高指導者ムアンマル・アル=カダフィ大佐(1942~2011年)による化学兵器使用を懸念した。大佐が科学・技術者を養成し、1980年代にはサリンやホスゲン、マスタードガスのいずれか、もしくは全てを保有していたとの観測が有力だったためだ。結局、国交回復や経済交流を望んだ大佐は2003年、核兵器開発に加え、化学兵器廃棄にまで同意する。ところが、国連化学兵器禁止機関(OPCW)の監視下、11年5月を目途に廃棄する計画が、11年2月の内戦勃発(ぼっぱつ)で中断を余儀なくされた。リビアは当時、依然として事実上の化学兵器保有国だった。
リビアの化学兵器工場建設への西側企業参入情報をいち早くつかみ、捜査したのがBNDだった。BNDはCIA(米中央情報局)に通報し、内戦勃発後の11年2月下旬、英陸軍特殊作戦部隊(SAS)やNATO(北大西洋条約機構)の化学兵器処理専門家らで極秘潜入チームが編成された。3カ所の化学兵器秘匿保管庫を11年8月下旬までに特定し、監理下に置く。保管庫は味方にも秘匿され、近付くヒト・モノは彼我の別なく攻撃された。