靴は何回か修理して比較的長い間履くが、今回のイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ進攻で、12年以上前に一度も修理せず棄てた靴を思い出した。イスラエル軍は2002年4月にも、パレスチナ自治区ジェニン難民キャンプに進攻した。戦場と化した自治区を応援取材、1カ月の滞在を終え、当時の勤務地ロンドンの自宅に帰るや、真っ先に「ポリ袋が欲しい」と、戸外より怒鳴った。
たっぷりと血を吸った布製の靴を履いて、家に入るのは憚(はばか)られた。血は取材終盤、エルサレム市街の自爆テロ現場で付いた。現着すると、デッキブラシで血だまりを水洗いしている最中。坂上の現場に坂下から向かい、布製の靴は「薄紅色の水」でびっしょりとぬれてしまった。その後、サイズと時間に恵まれず数日間、我慢して靴を履き続けた。
民間人が「人間の盾」
当時、自爆テロが頻発していて、食事にも危機管理を強いられた。大通りの飲食店はNG。大通りを一本入った、できればさらにもう一本入った、日本で言えば「飲み屋横丁」のような、車の入れない小路沿いの飲食店を選んだ。爆弾を積んだ車両による自爆テロを避けるためだ。付け加えるなら、横丁の入り口に自動小銃を抱えた傭兵(ようへい、といってもポロシャツにジーンズ姿)が睨(にら)みを効かせた立地がベスト。傭兵は「飲み屋横丁」に軒を連ねる店のオーナーが共同出資して雇っていた。