フィリップ・コレクションのスーザン・ベフレンド学芸員は、AP通信に「ピカソはアイデアがわき出てくると、すぐに作品を描いた。新しいキャンバスは当時のピカソにとっては高価で、いつでも入手できるわけではなかった」と話し、描き上げた作品の上に新しい作品が描かれた理由を推測した。
心情変化が鮮明に
浮かび上がった肖像画の男性は、あごひげを生やしてちょうネクタイをつけ、3本の指に指輪をした右手に頬を乗せており、専門家チームの分析では、「青い部屋」と同じ1901年に描かれたとみられる。だが、2つの作品を比べると、作風に大きな違いがあるという。
当時のピカソは、スペインのバルセロナからパリのモンマルトルに拠点を移したばかりだったが、いつも一緒に行動していた親友の自殺という大きなショックに見舞われる。これを契機にピカソは濃い青の顔料を多用して、亡くなった親友や軽業師などを描く「青の時代」に突入、約3年にわたって沈鬱なトーンに満ちた作品を描き続けた。そのなかで「青い部屋」は、「青の時代」の初期を代表する一枚とされる。