韓国光復軍は40年9月、中華民国=国民党政権の臨時首都・重慶で立ち上がった朝鮮独立を目指す亡命政府=韓国臨時政府の武装組織。だが、動員計画は遅れに遅れ、創軍1年目の兵力は300人に過ぎぬ。米CIA(中央情報局)の前身で、レジスタンス活動を支援するOSS(戦略諜報局)協力の下、朝鮮半島内で潜入破壊活動を考えたが、日本降伏が先になった。
45年8月15日、最後の朝鮮総督は日章旗を降ろし、太極旗掲揚を命じたのも束の間。9月、軍政施行に向け半島に上陸した米軍は太極旗を降下させ、再び日章旗を揚げさせる。以後3年間軍政を実施し、臨時政府樹立など論外であった。臨時政府の金九(キムグ)主席(1876~1949年)は個人資格で“故国”に帰り、光復軍も武装解除された。韓国は日本を打ち負かして独立したのではない。米国より棚ぼた式に独立を譲ってもらっただけ。金も自伝で憂いた。