血だるまで横たわる三等水兵・三浦虎次郎(1875~94年)も戦死する28人の一人となる。三浦は通り掛かった松島副長に、北洋艦隊旗艦で鎮遠の同型艦《定遠/常備排水量7144トン》が沈んだかを「声をしぼりて」(佐佐木信綱作詞の軍歌・勇敢なる水兵の一節)尋ねた。副長が戦闘不能に陥った旨を説明すると「微笑(えみ)を漏らしつつ 息絶えた」という。
18歳の一水兵が示した愛国心と責任感に只(ただ)頭が下がる。心打たれ泣けてくる。ただし、三浦のような天晴(あっぱれ)れな亀鑑(きかん)は当時の日本には確かに存在した。
松島が被弾した際、聯合艦隊初代司令長官の伊東祐亨(すけゆき)中将(1843~1914年/後に元帥海軍大将)は、自ら損害を検分すべく艦橋を下りた。と、伊東の足元に、まさに命尽きようとする水兵が渾身(こんしん)の力を込め這(は)い寄ってきた。水兵は言う。
「閣下、ご無事でありましたか」
伊東は水兵の手をしかと握り「伊東はこの通り大丈夫じゃ。安心せよ」と応え、甲板で足踏みまでして見せた。水兵は「閣下がご無事なら戦いは勝ちであります。万歳っ…」と、最期の言葉を発して事切れる。