また時折、がれきの中から割れた茶碗やビニール製の女性のサンダルなど、人が住んでいた痕跡に出合う。
かつてこの島は、日本の近代工業を支え激動の20世紀を生き抜いたエネルギーに満ちあふれ、島を造り上げた人々の強靱(きょうじん)な精神が息づいていた。
軍艦島は長らく忘れ去られていたがここ近年、産業遺構としてマスコミで紹介され再び脚光を浴びるようになった。昨年(2013年)には、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の構成資産28施設の一つとして、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦が決定。コンクリート高層建物群は崩壊の可能性が指摘されており、長崎市は建物群保存のため、国から2分の1の助成を受けて昨年(2013年)11月の補正予算に1740万円を計上した。長崎市世界遺産推進室によると、今年夏ごろ国際記念物遺跡会議(イコモス)による現地調査を経て、2015年の世界遺産委員会で登録の可否が審査される見通しだ。
廃虚となった「不沈艦」は、無人島となってから40年という月日が流れてもなお、その圧倒的な存在感は人を惹き付けてやまない。(写真・文:フォトグラファー 中尾由里子/SANKEI EXPRESS)