「オウムに狙われている。万が一のときは警察に通報しろ」。拉致される前夜、切迫した様子で清志さんからこう告げられたのが、最後の会話となった。
1995年2月28日、脱会しようとした清志さんの妹の居場所を聞き出すために教団関係者らが清志さんを拉致、山梨県旧上九一色村(かみくいしきむら)の教団施設に監禁した。清志さんは大量の麻酔薬を投与されて死亡。遺体は焼かれ、灰は湖に捨てられた。
平田被告出頭の報に、実さんは「生きていたんだな」とつぶやいた。一度は終結したオウム裁判が、再び動き出した瞬間だった。
「監禁致死」への疑念
父の死には今も謎が残る。指揮役とされた井上嘉浩死刑囚(44)や、麻酔薬を投与した中川智正死刑囚(51)の公判で認定された罪名は殺人でなく逮捕監禁致死。殺意があったとは判断されなかったが、今も「殺人ではないか」という疑念がある。3年前に届いた1通の手紙が、その疑いをより強くさせた。