そこには「わが友の命にかへて守りたる銃を焼くなり戦ひののち」といった歌が何首も連なって嗚咽していた。
それから46年後、11冊目の歌集は『美しく愛しき日本』となった。どの歌も万感が胸に迫るものであったけれど、とりわけ次のような歌の前で呆然と立ちすくんだ。「オサマ・ビンラディン この世にすでに亡し。桜ののちの。庭のさびしき」「白鳥の去りてむなしき列島の しんしんとして 陽は土に染む」「みちのくの遠野(とうの)こほしき。けだものも人も女神も 山わかち住む」。
岡野先生の歌には必ずといってよいほどに「古典」や「歌」の情景や詩句が切ないほどに出入りする。「この国の暗き古典の襞(ひだ)ふかく 息ひそめ棲む魔(もの)ぞ 恋しき」。それとともにたいてい「日本」と「神々」と「鎮魂」とが去来する。『神がみの座』という鎮魂随筆集もある。
しかし先生は、そのような「日本」や「歌」が存分に活動しきってこなかったことを深く嘆いてもきた。どうしてこんなことになったのか。戦場に行った自分たちの責任か。戦後の民主日本のせいか。日本という国の宿命なのか。先生はずうっとずうっと、このことを問い続けてきた。そして、こういう歌を詠んだ。「この国の歌のほろぶる世にあひて 命むなしくなほ生きてをり」。