それでも絶対タガが外れない自信を持てるでしょうか。法を犯すまでではなくても、特別な自分なら多少のことは許されると誤解を抱いてしまったり、あり余るほどのお金があれば、自分の好きなように振る舞ったり、もっともっと欲しくなったりしても不思議ではないのではないでしょうか。むしろ、清原氏のような浪費は自然とさえいえるかもしれません。
ですから、いつも思うのです。
金銭がらみのニュースを目にするたびに、一見違う世界の人たちの話のようで、冒頭のセリフをいう人たちと、何ら“根っこ”は違わないのではないか、と。
動く金額が大きくなれば、失敗したときの代償も大きくなりますから、一気に裏目に出ることだって十分に起こりえます。大なり小なり同様のことがいたるところで繰り返されています。
その根っこは、とてもシンプルです。
失敗する人と、そうでない人とで違うのは、「ある思い」をどれだけ強く持てるかどうかの差ではないかと私は考えています。感謝する心です。
自分が得たお金は、降ってくるわけでも、沸いてくるわけでもありません。自分で稼いだことには間違いありませんが、自分の力だけで得られたものではないはずです。いろんな人の協力があって、それで得られたお金でしょう。稼げるようになった自分だって、もちろん自分の努力は相当にあったと思いますが、やはり周りの人のサポートあってこそ。自分を含む小さな「社会の仕組み」の中で得られたお金です。そのことに率直に感謝できる気持ちをどれだけ持てるかで、お金の使い方は変わると思います。