エンジンからの煙が白いうちは水蒸気が主だ。黒煙になると発火の恐れが強まり緊急停車するしかない。「まだ行ける。こんなところで止まれるか」。渡辺さんは出力をできるだけ保ち、急坂を上る。速度が時速10キロ台に落ち停車寸前、磐梯町駅のプラットホームに滑り込み、本線を空けることができた。3分後、旅客列車が石油列車を追い越していった。石油の到着は遅れるが、他の列車のダイヤを乱さないでよかった。渡辺さんはほっと胸をなでおろした。
連絡を受けた会津若松駅から職員が車で駆け付けた。点検するとDD51の2基あるエンジンのシリンダーが吹っ飛び、大きな穴が開いていた。
JR貨物本社で機材調達を指揮した松田佳久さんは「解体待ちで長く稼働していない機関車を緊急整備して走らせていた。予想以上に負荷がかかったのかもしれない」と分析する。幸いこの日から石油列車は2便体制となり、先に郡山に石油を運んだDD51が会津若松に戻る予定があった。磐梯町で機関車を交換し、無事石油を届けることができた。
東北本線が復旧する4月17日まで、小さな機関車故障や余震による緊急停車などに見舞われながらも石油列車は運行を続けた。輸送最終日、郡山から4つ目の磐梯熱海駅には地元住民や鉄道ファンが集まり、感謝の横断幕も掲げられた。なかには「DD51ありがとう」と書かれたものもあった。「俺たちじゃないのか」、渡辺さんは一瞬苦笑いを浮かべ、「お前も本当によく頑張ったよな」と運転台をなでてやった。