【技術革新とiモード】(4)
「何年かに一度、全てを変えてしまう革命的な製品が現れる」-
2007年1月9日、米サンフランシスコ。黒いタートルネックとジーンズ姿で登壇した米アップルのCEO(最高経営責任者)、スティーブ・ジョブズはこう切り出した。スマートフォン「iPhone(アイフォーン)」が初めてベールを脱いだ、“伝説”のプレゼンテーションだ。「電話を再発明する」というジョブズの言葉の本当の意味を、後に誰もがかみしめることになる。
翌08年7月、日本でアイフォーンが発売されると、販売店の前には長い行列ができた。
「アイフォーンが出ても、売れないと思っていた。画面が大きいから」
パソコンではなく、電話と思われることがiモード携帯が普及した要因。NTTドコモで開発責任者を務めた榎啓一(67)は、そう考えていた。iモードでは大当たりした榎の見立ては、今回は外れた。他ならぬiモードが、利用者を変えていたからだ。携帯端末から情報を得ることに慣れた人々は、何の抵抗もなくスマホを受け入れていった。
海外展開で苦戦
ドコモは、海外展開で苦戦が続いていた。iモードで得た巨額の利益を元手に、00年にはオランダのKPNモバイルに約5000億円、01年には米AT&Tワイヤレスに1兆2000億円という巨費を投じる。しかし、いずれも議決権の過半を握るまでには至らず、出資した会社をうまくコントロールできず、成果を挙げられなかった。