いまや大半の製品を海外で生産。その比率は約90%にもなる。連結従業員約3万2千人のうち海外の従業員は実に70%を占め、国際企業に飛躍を遂げた。
「社内の意識もかなり変わった」という。それもこれも、「『オリンピックを企業カラーにしよう』という戦略の結果」だという。
五輪プロジェクトは、「ブランド力向上や販路拡大など、目的を達した」として、92年のバルセロナ大会を最後に終了した。だが、国内開催となれば「話は別」のようで、97年の長野五輪では機器提供こそしなかったものの協賛している。
実は、64年の東京五輪でも欧文タイプライター約300台を外国人記者に提供、話題を集めたとの記録があるという。2020年の東京五輪についても、「できれば何らかの形で参画したい。タイプライターではありませんが…」。6年後、どんな最新技術が東京五輪会場で披瀝(ひれき)されるのだろうか。(佐久間史信)