「シャープでやれることない」前副社長ら続々移籍…鴻海に無くて、日本電産に有るもの
経営再建中のシャープの前副社長、大西徹夫氏(61)が1日付で日本電産に移った。顧問に迎えられ、株主総会を経て要職に就くとみられる。大西氏はシャープで経理畑を歩み、金庫番として銀行との交渉窓口にもなってきた人物で、転出は業界でも大きな話題となった。日本電産にはシャープから多くの人材が続々と移籍している。元社長の片山幹雄氏も副会長へと転身した。こうした動きは、単に日本電産側が受け入れを表明しているためだけではない。“やりがい”を求めて積極的に出たという面もある。このままではシャープ社員の“再生工場”になりかねない。(織田淳嗣)
「もうシャープでやれることはない」
「そんなん言われへんて。迷惑もかかるし。まだ何をやるかも決まってない」。今月初め、大西氏は産経新聞の取材に応じたものの、日本電産への移籍理由についてはほとんど語らなかった。
昭和54年にシャープに入社した大西氏は経理畑出身で、平成15年に取締役経理本部長に就いた。その後、太陽電池事業の統轄や欧州・中東欧本部の副本部長を務めた。副社長には26年に就任。シャープは25年に策定した中期経営計画(後に断念)で銀行傘下での再建を目指したが、財務を含め社内事情に詳しい大西氏が実質的な窓口だった。
昨年6月の株主総会後に取締役を退き、副社長執行役員として液晶事業の構造改革を担当。官民ファンドの産業革新機構からの出資受け入れの協議を進める“革新機構派”の1人だった。だが台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下入りが3月末に正式決定したため、顧問に退いていた。周囲には4月のうちに辞意を伝えていたという。
24年に鴻海とシャープが行なった出資交渉がシャープの株価の変動をめぐり破談となった経緯から、生え抜き役員には鴻海への不信感が根強く、大西氏もその1人だったようだ。以前の取材で「交渉は信頼関係を積み重ねてやっている。それなのに、ここまで積み上げてきた、というところでひっくり返されては…」と苦言を呈していた。
一方、革新機構傘下のジャパンディスプレイ(JDI)との統合には前向きで、機構入りが決まれば引き続き、JDIとの交渉で主要メンバーとしてシャープに残った可能性がある。
シャープの液晶を含めた構造改革は、鴻海主導で行われることとなった。大西氏は「もうシャープでやれることはない。残念なことやけどな」とこぼした。
“引き抜き”否定も、部長級採用100人超え
大西氏とは対照的に、4月25日に行われた日本電産の決算記者会見で、永守重信会長兼社長は饒舌だった。
大西氏の顧問就任について、「グローバル展開をしていく上で必要な人材。次の株主総会に新しい役職につく。この人はシャープでCFO(最高財務責任者)を務めたから、そういう関係でしょう」と強調した。経理・財務部門で要職を任されそうだ。
日本電産は、26年に元シャープ社長の片山幹雄氏を副会長で招いたのを皮切りに、続々と“大物”を採用してきた。5月1日付人事では、シャープのテレビ部門のトップを経験した、毛利雅之氏(汎用モータ事業本部営業統轄部長)が執行役員に就くなど厚遇している。
ただ、シャープは日本電産のモーター部品の納入先の1つであり「大切なお客さん」(永守氏)だ。このため、引き抜きや、片山氏らを通じてのスカウトについては強く否定。退職者に声をかけるスタンスを貫いているという。しかし、部長級以上の採用はすでに100人を超えた。
シャープ、鴻海傘下で「やりがい」作れるか?
なぜ、シャープ出身者は日本電産の戸を叩くのか。答えのひとつは仕事へのやりがいかもしれない。
片山氏は26年の副会長就任時、取材に対し「私はシャープへの思いはたぶん誰よりもあるでしょうね。でも私がシャープにいてもこれ以上幅はないでしょう。辛気くさい顔してディスプレー作っていても仕方がない」と語っている。
そのうえで「日本電産で、皆さんが予想できないようなものを作っていく。その事業にわくわくしているんです。人間を幸せにする快適な生活ができるものが作りたい」と述べた。特にあらゆるものをインターネット接続するIoT時代における、駆動装置としてのモーターに関心を示していた。
一方で、永守氏の目には、有能な人物のシャープでの失敗経験は大きな「武器」として映っているようだ。「人は同じ失敗はしない。挫折や失敗の経験のある人にこそ来てもらいたい」と力説する。
仕事にやりがいを求める元シャープマンと、人材を求める日本電産の需要と供給は一致している。シャープは再建に向けた人材の確保には、鴻海傘下で「やりがい」を作ることがカギかもしれない。
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