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木組みの家が並ぶ「1000年の古都」 ドイツ「発祥の地」・クヴェトリンブルク

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木組みの家が並ぶ「1000年の古都」 ドイツ「発祥の地」・クヴェトリンブルク

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 【Viva!ヨーロッパ】

 狭い石畳の路地に軒を連ねる数々のかわいらしい木組みの家。中世以来の姿をそのまま残すドイツ中央部の街クヴェトリンブルクは、1000年余りの歴史を持つ「ドイツ発祥の地」と称される。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されて今年で20年。観光地としての注目も高まっている。

 世界遺産登録20年

 クヴェトリンブルクは旧東独地域のザクセン・アンハルト州にあり、独中央部ハルツ山地北東端に位置する。人口3万人に満たない小さな街だ。

 街の中心で市庁舎のある広場は、淡いオレンジや黄色の華やかな木組みの建物に周りを囲まれていた。編み目のように広がる路地に入っても、木の骨組みに色を塗ったり、魔除けの装飾をあしらったりした家が続く。どれも個性的だが、どこか落ち着いた雰囲気を醸し出す。街中では映画撮影も行われていた。

 「ここが面白いわよ」。案内の女性が指した場所には4軒の木組みの家が並んでいた。「15~18世紀の各世紀に建てられた家が順番に並んでいる」と女性。木組みの家の歴史が一目でわかるというわけだ。

 街で木組みの家が最初に建てられたのは14世紀。15世紀には技術の発展で、上層階を後で増築できるようになった。そのため当時の家は上層階が突き出している。16~17世紀には梁(はり)にも細やかな装飾が目立つ。18世紀の家が最も簡素なのは「市民が室内の方に凝るようになったから」(女性)。

 街全体の木組みの家は約2000軒。第二次世界大戦の被害を免れた街では、旧東独政府が観光都市としての整備を決めた1970年代から老朽化した伝統家屋の改修が始まった。東西ドイツ統一後の90年代から作業は本格化し、94年に世界遺産に登録。大半の改修を終えたという。

 初代国王と関わり

 「以前は多くを取り壊す計画もあった。それを考えると今、とても誇りだね」。そう語るのは木組みの家に暮らす会社員、ゲルト・プロクシュさん(59)。17世紀の家屋を自身で5年かけて改修した。キッチンなど室内はモダンなつくりで、驚かされた。

 ドイツには伝統的な木組みの家で知られる街は他にもある。だが、クヴェトリンブルク観光事務所の責任者、トーマス・ブラハト氏は「ここでは住民が木組みの家に暮らしている。質・量ともに他とは違う」と胸を張る。さらにブラハト氏が強調するのは、その「歴史」だ。

 ドイツの起源は9世紀にフランク王国分割に伴い成立した東フランク王国。フランク王国を治めたカロリング王朝の血筋を持つ国王が途絶え、ザクセン大公が国王を代々務めたが、クヴェトリンブルクはその初代国王ハインリヒ1世(876~936年)と深い関わりを持っているのだ。

 ハインリヒ1世が国王に就いたのは919年。国王選出の知らせを受けた際、ハインリヒはクヴェトリンブルクで野鳥狩りをしている最中だった。その後、この地に居城の一つを構え、息子のオットー1世(912~973年)の下で神聖ローマ帝国が築かれた後も、街は重要都市として発展した。

 続く保存・改修作業

 中心部から10分も歩けば、城山に行き着く。高台にそびえる聖セルバティウス教会は12世紀までに建立され、ロマネスク様式の建築の最高傑作の一つとされる。その地下室で棺に眠るのはハインリヒ1世と妻のマティルデ。眼下に広がる、茶色の瓦で覆われた家々の光景を前に、2人が1000年間にわたり、街を見守ってきたのではないかとも感じる。

 街並みや城山などの保存・改修作業が続き、宿泊できる設備が足りないなど、まだ取り組むべき課題はある。ドイツの他の観光地と比べて知名度もまだ低い。だが、観光客は年々増えている。エーベルハルト・ブレヒト市長は「ドイツの古い歴史の舞台として、クヴェトリンブルクはとても重要な街」とその魅力をアピールしている。(宮下日出男、写真も/SANKEI EXPRESS

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