SankeiBiz for mobile

近代的・シャープな音 伊指揮者のアバド氏死去

ニュースカテゴリ:EX CONTENTSのエンタメ

近代的・シャープな音 伊指揮者のアバド氏死去

更新

 AP通信などによると、世界的に著名なイタリアの指揮者で、2003年の第15回高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)を受賞したクラウディオ・アバド氏が1月20日、北部ボローニャで死去した。80歳。アバド氏はここ数年、病気を患っていたという。

 1933年、ミラノの音楽一家に生まれたアバド氏は、ヴェルディ音楽院、ウィーン音楽アカデミーなどで学び、63年にはミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝。65年、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~89年)の推薦によりザルツブルク音楽祭でマーラーの「交響曲第2番」を指揮して大成功を収め、世界的に注目された。以後、ミラノ・スカラ座監督、ロンドン交響楽団首席指揮者、ウィーン国立歌劇場音楽監督を経て、カラヤンの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督に就くなど音楽界の最高ポストを歴任した。

 「近代的でシャープな音をつくり、クラシックを魅力的に再現した指揮者」(音楽評論家、諸石幸生さん)と位置づけられ、それまでの指揮者が持っていた権威主義的なイメージと異なり、聴衆に近い存在として多くの音楽ファンに支持された。

 2000年にがんの手術を受けたが復活し、スイス・ルツェルン音楽祭の運営などに取り組んだ。昨年(2013年)10月に来日公演の予定だったが、健康上の理由で取りやめになっていた。

 ≪演奏家とともに「革新」を希求≫

 ラウディオ・アバド氏はあふれる歌心と明晰(めいせき)な頭脳を併せ持った、類いまれな指揮者であった。

 世界的に注目を集めるようになったのは、1965年のザルツブルク音楽祭。芸術監督の帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンに招かれたアバド氏は、当時まだ一般的ではなかったグスタフ・マーラーの「交響曲第2番」を振り、センセーショナルな成功を収めたのだ。

 マーラーの混沌(こんとん)としたスコアを読み解き、歌心を失わずに再現してみせた若き指揮者は、以後、世界の主要オーケストラ、歌劇場から引っ張りだことなった。

 アバド氏はヴィルヘルム・フルトベングラー(1886~1954年)に心酔し、同世代のダニエル・バレンボイム氏(71)やズービン・メータ氏(77)とともにその演奏を研究した。オーケストラへの接し方も「独裁者としてオーケストラを締め上げるアルトゥーロ・トスカニーニのやり方は好きになれません。フルトベングラーのように、演奏家と一緒になって音楽を作っていくやり方が好きです」。対話を重視するアバド氏の姿勢は、オーケストラの団員にも歓迎された。

 また、12年間芸術監督を務めたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を、バロック、古典派、ロマン派、現代音楽と、それぞれの時代にふさわしい音で演奏できるように改革するなど、常に「革新」を希求する精神を持っていた。

 守備範囲は、バロックから現代音楽と幅広かったが、どうしたわけかジャコモ・プッチーニだけには手を出さなかった。2003年に世界文化賞を受賞したさい、その理由を問うと、アバド氏はこう答えた。

 「プッチーニが嫌いなわけではありません。ただ、私は革新にひかれるのです」(桑原聡/SANKEI EXPRESS

ランキング