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新春インタビュー 奄美が教えてくれるもの(3) 歌手、元ちとせさん

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新春インタビュー 奄美が教えてくれるもの(3) 歌手、元ちとせさん

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「カトリック赤尾木教会」の庭にある大きなガジュマルの木の下で=鹿児島県大島郡龍郷町 (奄美大島、別府亮さん撮影)  ≪見捨てられない、という自信≫

 強いつながり 誰かが助けてくれる

 誰も(私を)見捨てない。そんな自信が持てるのは、私が集落に育ててもらったからだと思います。

 3歳くらいのころ、両親は毎日、隣町に仕事に出かけました。私は幼稚園にも保育園にも行かず、家でお留守番。でも大丈夫でした。集落の畑に行けば、そこで働くおじいちゃん、おばあちゃんの誰かが、お昼ご飯を食べさせてくれるんです。

 集落には夕方になると、縁側で三味線をひくお兄さんがいて、4歳のとき初めて私に三味線を弾かせてくれたのは、その人でした。

 飼っていた犬がいなくなって一生懸命探す私を見かねて、山についてきてくれたのも、血のつながらない、集落のおじちゃん。誰もそんなことを頼まないのに。

 島で育ったという感覚が、私を支えている。そう感じます。

 島に帰ったのは「仕事を続けたいし、両親が近くにいると協力してもらえる」という事情もありました。でも一方で、いつかそうするのが当たり前だという感覚がありました。

 実際、子育てはしやすいです。東京で育てても仲間が支えてくれたと思いますが、ありがたいことに奄美では母親同士がお受験などの競争をしないので、みな仲が良い。私が仕事で出かけると、車がないのに気付いた隣の同級生夫婦が、「大丈夫?」ってゴミ出しのことまで気にかけてくれます。

 島では、いろんな世代が集まる場が昔からありました。広場には土俵があって、男どうし、目を見て「でぃ(やろうぜ、の意味)」って声をかけると、相撲が始まりました。秋には広場で収穫を祝う秋祭りがあって、集落のみんなで集まり、三味線を持って、唄(うた)ったりしました。船が大漁で戻ってきたときも、みんなでごちそうを持ち寄り、唄を唄います。

 小さいころ、私が唄うといつも元気なおじいちゃんやおばあちゃんがぽろっと涙を流して聞いてくれました。お祭りでも唄いました。集落に対して唄う喜び。それが私の歌い手としての原点にはあります。

 島ならではの、人のつながりは、街の中でも見られます。ひと雨きそうな空模様だったある日、スーパーの前にあるバス停にいた常連客のおばあちゃんに、「ばあちゃん、バスの時間まであと10分あるけど、中に入って待ってるといいよ」って、店員さんが声をかけているのを見ました。ご老人の重たい買い物バッグを、小学生が代わりに持ってあげて助けたり。

 うちにも時々、小学生が「トイレ貸して」って来ます。「それは緊急事態だわ、借りていきなさい」って貸します。それに、名前を書いてもいないのに「持ってたよね、これ」って、なくしたものを誰かが届けてくれることもよくあります。

 飲み屋では70代の大先輩たちと集まって飲みます。私のことは孫だと思ってくれているんだと思います。気安い仲だけれど、そんな大先輩たちとの結びつきは強いですし、尊いって思うんです。(取材・構成:高橋天地(たかくに)、津川綾子/撮影:フォトグラファー 別府亮/SANKEI EXPRESS

 ≪何も言わなくても世代はつながっていく≫

 奄美の島人(しまんちゅ)のつながりをひしと感じるのが、集落の広場で祭りに遭遇したときだ。

 ドン、ドン、ドン。午後7時半、広場に太鼓の音が響き渡ると、三味線にあわせ唄者(うたしゃ)がうたい、人々が輪になり踊り始めた。2013年10月、奄美市笠利町手花部(てけぶ)集落で行われた秋祭り「種下ろし」の光景だ。

 種下ろしは奄美大島北部の祭りで、次年の豊作を願うもの。秋祭りは名前を変え、島の各集落で行われている。手花部集落では老若男女およそ60人がごちそうを持ち寄り広場に集まり、唄い、踊り、食べ、飲んだ。

 手のひらを巧みに翻し舞う老人のそばで、4年生の会田城大くん(9)が見よう見まね、やんちゃに踊る。誰も何も教えたりしない。「こうやって世代がつながっていくんだよ」と松元豊和さん(61)。

 慣習や、そこに込められた思いが「あ・うんの呼吸」で伝わり、世代を超えて共有されていく。その瞬間を目撃したような気がした。(津川綾子、写真も/SANKEI EXPRESS

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