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新春インタビュー 奄美が教えてくれるもの(1) 歌手、元ちとせさん
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幹線道路から海岸へ抜ける道沿いに、名もなきジャングルが広がる。クワズイモが大きな葉を広げ、パパイヤの樹が実をつけていた=鹿児島県大島郡龍郷町(奄美大島、別府亮さん撮影) ≪いのちの隣に、いつも暮らす≫
奄美大島出身の歌手、元(はじめ)ちとせ(34)は、2009年から家族で故郷に戻り、暮らしている。帰郷は第二子となる長男(4)の妊娠がきっかけだった。この地の暮らしの中にある豊かさとは何か-。奄美大島に根をおろして暮らす、元ちとせを訪ねた。
命のこと、もっといえば「失う」ことを、私は身近に感じて育ちました。
私が18歳になるまで暮らしたのは、総勢50人ほどの小さな集落。小学校時代には私を含めて児童が4人しかいませんでした。もちろん当時もスーパーマーケットはありました。けれど、かわいがって飼っていたヤギを捌(さば)いていただく、ということもしょっちゅうでした。おじちゃんがヤギをさばくのを見て育ちました。でも小さかった私が泣いたり、わめいたりしたのは2回くらい。子供ながらに、命をいただくということはとても大切なことで、「簡単なものじゃない」ということがわかりました。
だから「食べる」ことは、「あの子の命が、自分に変わっていく」という感覚。命は巡るということを、心に受け入れて生きることは覚悟がいります。ですが、前向きなことだと思っています。何も残さずにいただくということが、当たり前。だから私は元気です。
昨年(2013年)夏、実家で父がにわとりをさばくというので、小3の長女(8)に、「見てきなさい」って言いました。最近、犬や猫を飼いたいと言うので「命はそんなに簡単なものじゃない」ということを経験として伝えたいと思っていたし、感性がとぎすまされた子供のうちに、見せておきたかったんです。
見たあと、長女は私のもとにやってきて、誰に言われたわけでもないのに、空に向かって「ぜんぶ、食べるからね」と言っていました。そのときの思いは、いつか娘のお守りみたいになっていくんだと思います。こればかりはDVDなんかで教わるものじゃないですからね。
スーパーに行けば、それが当たり前の姿であるかのように、肉も魚も切り身になって売られています。私たちの日常は、意識しなければ命のことが見えないし、身近に感じられない環境になっています。
切り身になった魚ばかり食べていては、命のことはわかりません。生きて、バタバタ暴れる魚を抑えつけて、包丁を入れ、血を流し内臓を出して…ということをしないから。
それを、かわいそうって思うのか、きちんといただく、と思うのか。私は後者のほうです。
奄美大島では大きな台風に見舞われると、命が危険にさらされます。過去、島の人たちはそんな経験をたくさんくぐりぬけてきました。いつ命がなくなるかわからない、ということもあるから、余計に命を身近に感じているのかもしれません。
だからこそ、生きている間はみんながいつも元気に、思う存分過ごしている。そういう面もあると思います。(取材・構成:高橋天地(たかくに)、津川綾子/撮影:フォトグラファー 別府亮/SANKEI EXPRESS)
奄美大島は奄美市、瀬戸内町、龍郷町、大和村、宇検村の1市2町2村。奄美市には4万4515人が暮らす。