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不屈の闘志 人種融和へ導く マンデラ元南ア大統領死去 95歳
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南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)撤廃闘争を率いた南ア初の黒人大統領でノーベル平和賞受賞者のネルソン・マンデラ元大統領が12月5日午後8時50分(日本時間6日午前3時50分)ごろ、ヨハネスブルクの自宅で死去した。95歳。旧白人政権の弾圧で27年半の刑務所生活を強いられたが、不屈の闘志で獄中から闘争を率いて多人種共存の「レインボー・ネーション(虹の国)」を追求。国民的英雄としてだけでなく、人種融和の象徴、「反差別」の希望として世界中から尊敬を集めた、起伏と波乱に満ちた一生だった。
南アのジェイコブ・ズマ大統領(71)が5日深夜、テレビを通じてマンデラ氏の死去を発表し、「わが国は偉大な父を失った」と述べた。マンデラ氏は肺の感染症などで入退院を繰り返しており、家族に見守られながら穏やかに息を引き取ったという。近く行われる国葬には各国首脳の参列が見込まれ、日本政府は、安倍晋三首相(59)や閣僚の出席を検討。外務省は「世界最大の弔問外交になる」(幹部)とみている。
マンデラ氏は1918年7月、トランスカイ(現東ケープ州)生まれ。大学で法律を学び、44年にアフリカ民族会議(ANC)青年同盟創設に参加、アパルトヘイト反対運動に取り組んだ。
60年、警官隊が群衆に発砲したシャープビル事件を機にANCが非合法化されると地下に潜伏。軍事部門を発足させ、最高司令官となった。62年8月に不法出国の疑いで逮捕、64年に国家反逆罪で終身刑を宣告され、ケープタウン沖のロベン島などで服役した。
黒人との対話路線をとったフレデリク・デクラーク大統領(77)=当時=の登場で90年2月に釈放。翌91年にはアパルトヘイトの根幹法である人種登録法などが全廃され、93年にデクラーク大統領とノーベル平和賞を共同受賞した。94年の初の全人種選挙で勝利し大統領に就任したが、99年、任期満了に伴い政界を引退。公の場に姿を見せたのは、2010年7月のサッカー・ワールドカップ(W杯)南ア大会閉幕式への出席が最後となった。
四半世紀を超える刑務所暮らしを余儀なくされたマンデラ氏が白人に抱いた怒りは、想像を絶する激しさだったに違いない。しかし、その怒りを「制度への怒り」に転化、白人への報復を戒め、一貫して人種間融和を訴えた。バラク・オバマ米大統領(52)をはじめ、その姿に心打たれて政治家を志した人は数知れない。
「抑圧された側も、圧制者の側も、偏見と不寛容から解放されなければ、本当の自由は達成されない」。報復におびえる白人、肉親を殺害され、怒りに燃える黒人…。苦悩の中でマンデラ氏は国民にこう呼びかけて、許しと双方の和解に努め、分裂しそうな国を一つにまとめた。
マンデラ氏は何事にも完璧な聖人君子やエリートとも一味違っていた。離婚歴2回というのもよく知られており、1998年に80歳で27歳年下の3人目の妻グラサさんと再婚。「彼女の愛と献身のおかげでこの年になって私の人生は満開だ」とのろけてみせた。一方で、2004年に最初の妻イブリンさんが亡くなると、葬儀には2番目の妻ウィニーさん、グラサさんとともに参列している。
「報復から光の国は生まれない」。苦悩の中で光を得た巨人が残したメッセージは、自由のために闘う人々に真の指導者のあり方を示唆し続けるであろう。(SANKEI EXPRESS)