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「可哀想」を童謡にしつづけた雨情 ぼくが大好きな野口雨情の童謡たち 松岡正剛

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「可哀想」を童謡にしつづけた雨情 ぼくが大好きな野口雨情の童謡たち 松岡正剛

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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)  【BOOKWARE】

 雨情の詩歌と人生を見ていると、ときに胸がしめつけられる。心はやたらに澄んでいるし、とことん「一人ぽっち」や「可哀想なこと」に与するようなところをもっていたぶん、かなり「いいかげん」な男だったろうなという気がする。しかし、その加減のなかで心の髄まで「負け組」が大好きな男だったのだ。

 茨城の磯原町で廻船問屋をしていた素封家の長男に生まれた。だから潮来を取材した『船頭小唄』は故郷にちなむ哀切の歌だった。一応は東京専門学校(その後の早稲田大学)に入って坪内逍遥に師事したが、1年あまりで退学して食えない詩人をめざした。でも詩人らしくなったのは36歳をすぎてからだ。

 明治37(1904)年に父親が事業に失敗したので、故郷に戻って家督を継ぐのだが、そんなことをやれる甲斐性があるはずはない。樺太に渡り、なんとか一獲千金を夢見るのだけれど、芸者に金を持ち逃げされ、あげくは大量のリンゴ貨車1両ぶんを東京に送って生活費に充てようとするのだが、みんな腐ってしまった。やむなく小樽で新聞記者の真似事をした。このとき石川啄木に出会った。

 こんなわけだから本気でデビューしたのは大正8(1919)年以降のことで、斎藤左次郎の「金の船」や鈴木三重吉の「赤い鳥」に童謡を書くようになってからである。すぐに作曲家の中山晋平や本居長世たちと組んだ。晩生(おくて)だったが、ところがここからがすばらしい。持ち前の「可哀想」がみごとな詞になった。

 『十五夜お月さん』『七つの子』『青い目の人形』『赤い靴』『シャボン玉』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証誠寺の狸囃子』『波浮の港』『黄金虫』『ちんちん千鳥』『待ちぼうけ』など、いずれも寂しく、なんともいえない憐憫を誘う。

 雨情のコンセプトが「可哀想」や「はぐれる」にあることは、歌詞を見てもらえばわかる。山のカラスの母子は泣き、シャボン玉は屋根まで飛んでこわれて消えるものなのである。赤い靴をはいた女の子は異人さんに連れられるのだし、青い目の人形は迷子になってしまう。花嫁は一人でから傘をさして馬に揺られて濡れ、そんなときのお月さまはたいてい雨降りに曇るのだ。こうして、あの町もこの町もお家(うち)はだんだん遠くなり、みんな待ちぼうけになってしまう。寂しいことは少年や少女だけにおこるのではない。年老いた船頭の夫婦たちも「枯れすすき」なのである。

 こんなに悲しい歌詞ばかりを書いたのには、雨情が内村鑑三の「棄人・棄民・棄国」を重視する思想に感応していたとともに、自分の人生そのものの「寂寞(せきばく)」を見つめ続けていたからだった。このあたりのこと、ぼくも千夜千冊700夜や『日本流』(ちくま学芸文庫)にたっぷり書いてきたことなので、いずれ読まれたい。

 ところで雨情は北原白秋・西条八十と並んで「新民謡」の先駆者でもあった。これは大正末期から昭和初期に、各地の伝承や風情を新たな歌にしていったもので、昭和の世相における名産品、観光ブーム、温泉情緒、盆踊りに火をつけたものとして特筆される。「須坂小唄」「波浮の港」「ちゃっきり節」「東京音頭」などが全国的にも流行し、これらがやがて戦後の「ご当地ソング」にまで至ったのである。こうした雨情の作詞活動には、日本の村里にこそ日本人の心情の原点が宿るというパトリオティズム(愛郷心)が躍如していたはずだった。

 【KEY BOOK】「野口雨情詩集」(野口雨情著/弥生書房、2205円、在庫なし)

 北原白秋はガラスのペン先で知的に「日本センチメンタル」を紡ぎ出し、野口雨情は自身の内なる少年少女の心境から木の筆で「日本の哀切」を詩歌にした。白秋が窯変の達人なら、雨情は木彫の職人だ。本書はぼくが愛用していたもので、いったい何度目を通したことか。とくに「みなしご」(棄児)についての歌詞の前後に、何度酔わされたものだったか。

 【KEY BOOK】「定本 野口雨情(全8巻・補巻)」(野口雨情著/弥生書房、3675~4725円)

 「詩と民謡」「童謡」「地方民謡」「童話」「エッセイ」などで構成される全集。雨情の作品と文章のすべてが読める。各巻の解説者がいい。伊藤信吉・秋山清・大岡信・小島美子・住井すゑ・久保喬。実は雨情にはアナキズムの思潮が波打っていた。ぼくはそこにも共感していたのだが、この事情を秋山清が跡付けているのである。

 【KEY BOOK】「野口雨情童謡集」(藤田圭雄編/弥生書房、1300円、在庫なし)

 1番。ここの屋敷は空き屋敷。文ちゃん生まれた茨城の、元の屋敷も空き屋敷。2番。ここの畑は桐畑。文ちゃん生まれた茨城の、背戸の畑も桐畑。3番。ここの姉さん、日和下駄。文ちゃん生まれた茨城の、お夏娘も日和下駄。この感覚が『赤い靴』『七つの子』にも『雨降りお月さん』『あの町この町』にも染みていった。こんな童謡作家は、もういない。

 【KEY BOOK】「野口雨情 詩と人と時代」(野口存彌著/未来社、3990円、在庫なし)

 雨情の子息による評伝。よく書けている。とくに内村鑑三の「東京独立雑誌」が雨情に与えた影響を、安孫子貞次郎、中村有楽の線で追ったところがユニーク。雨情が子供を「救済者」とみなしていたことについての言及も興味深かった。雨情が子供に救われたのだ。著者には『父野口雨情』(筑波書林)もある。

 【KEY BOOK】「野口雨情:郷愁の詩とわが生涯の真実(人間の記録)」(野口雨情著/日本図書センター、1890円)

 雨情の文章には「真摯」と「童心」がほとばしる。たとえば諧謔は、「滑稽を通り越した洒脱なる諧謔」だった。「諧謔は真摯な、涙ぐましいまでに率直な灌頂から出発する」と書いている。雨情は「意味がきりきりと洒脱に際立つものへの投企」に全身の言葉を向けた。それを子供の童心の池にぽちゃんと落とした。

 【KEY BOOK】「郷愁と童心の詩人野口雨情伝」(野口不二子著/講談社、2900円)

 雨情の生誕130年を記念して、昨年2012年に出版された。お孫さんの不二子さんが書いた。濃やかな血縁の視点で雨情の誕生秘話や人生彷徨の日々のエピソードを綴っているところが、類書にはない興味をそそる。不二子さんは野口雨情生家記念館の館長や茨城の県北生涯学習センター長も務めておられた。北茨城の磯原にある。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS

 ■まつおか・せいごう 編集工学研究所所長・イシス編集学校校長。80年代、編集工学を提唱。以降、情報文化と情報技術をつなぐ研究開発プロジェクトをリードする一方、日本文化研究の第一人者として私塾を多数開催。おもな著書に『松岡正剛千夜千冊(全7巻)』ほか多数。「松岡正剛千夜千冊」(http://1000ya.isis.ne.jp/

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