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異才集結!アニメの常識覆した「ガンダム」 自由にデザインできた「ザク」

ニュースカテゴリ:暮らしの仕事・キャリア

異才集結!アニメの常識覆した「ガンダム」 自由にデザインできた「ザク」

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 アニメはしょせん子供のもの-。昭和38年に放送が始まった国産初のテレビアニメ「鉄腕アトム」以来の既成概念を打ち破ったのが、「機動戦士ガンダム」だった。

 世代を超えた支持を実証するように、昭和54年の放送から30年以上が経った今も、その人気は健在だ。昨年4月には東京・台場に、全長18メートルの実物大ガンダム像を設置したテーマパーク「ガンダムフロント東京」がオープン。今年3~5月には、ガンダムをデザインしたメカニカルデザイナー、大河原邦男さん(65)の特別展「超・大河原邦男展-レジェンド・オブ・メカデザイン-」が兵庫県立美術館(神戸市中央区)で開催された。

 アニメの枠を超えて熱狂的なファンを獲得し、30年以上の時が過ぎてもなお支持されるこの傑作アニメは、どのようにして生み出されたのだろうか。

 「子供向けではない、大人の鑑賞に耐えうるアニメを作ろう」。こう呼びかけたのは、総監督を務めた富野由悠季(よしゆき)さん(71)だった。富野さんは登場人物を造形するキャラクターデザイナーに、「宇宙戦艦ヤマト」などの制作に携わった安彦良和さん(65)を指名。そしてロボットなどをデザインするメカデザイナーに抜擢されたのが、昭和47年放送のテレビアニメ「科学忍者隊ガッチャマン」でメカのデザインを担当し、メカ専門のデザイナーとしてデビューした大河原さんだった。

 「ヒットするかどうかは分からないけれど、これはすごいアニメになるぞ、という確信はありました」と、大河原さんは当時を振り返る。

 スペースコロニーに住む宇宙移民のジオン軍と地球連邦軍が戦争を繰り広げるというストーリーを、富野さんが考案。安彦さんは主人公のアムロやそのライバル、シャアなど個性豊かな登場人物の造形を担当した。そして、大河原さんはアムロが操縦するガンダムなどのデザインを手掛けた。後にアニメ界に次々と革新をもたらす3人の“異才”が結集し、画期的な分業体制で名作を生んだ。

 当時、3人は30代。その後、富野さんはアニメ映画の監督や小説家として、安彦さんは漫画家として活躍。大河原さんはメカニカルデザイナーという職業を確立した。ガンダムで頭角を現した3人は、それぞれの才能を開花させた。

 大河原さんは「ガンダムの制作は、当時のアニメ界への挑戦でした。その成功がアニメ制作の構造自体を変革する転機となったんです」と、その意義を語る。当時、アニメ番組のスポンサーの多くは玩具メーカーだった。メーカーはアニメに登場するメカを玩具にして販売し、番組は玩具をPRする役割を担っていた。「玩具の購入対象は子供なので、当然、アニメに登場するロボットなどのメカは子供向けにデザインするのが常識でした。富野さんはこの“常識”をガンダムで変えたかったんです」

 変形して合体する荒唐無稽な子供向けのロボットの概念を覆すデザインを、大河原さんは富野さんから求められた。あくまでリアルに。それは、大河原さんが求める理想のデザインでもあった。

 リアルなロボットを目指してデザインしたガンダムは商品化される際、大人も楽しめるミリタリー模型として販売された。対象は子供から大人も含めた幅広い年齢層へと広がり、市場は一気に拡大した。

 「実はデザインに一番力を入れたのは、敵メカのザクでした」と大河原さんは打ち明ける。「ガンダムと違って商品化の予定がなかったので、自由にデザインできたからですよ」

 ガンダムの放送後、ザクの模型はガンダムに匹敵する人気を集め、その後のスポンサーの意向やアニメ制作の常識をも大きく変えた。

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