世の中の意見は一般的に大きく二つに分けられる。一つは「二つのことが如何に違うか」に注目し、もう一つは「二つのことが如何に同じか」に目を向ける。見方を突き詰めるとこうなる。問題は往々にしてどちらかに偏り過ぎることだ。
先週月曜日、前回の記事で紹介した青森県十和田の裂き織りのワークショップをミラノで行った。このために日本から5人の女の子がイタリアに来た。裂き織りとは衣服を裂いて再び生地にする技術だ。十和田では明治時代、綿を手にすることができない困窮のなかで、女性たちが頭を絞って作り上げた。そしてこの仕事をするコミュニティもできた。
それは経済的な救いだけでなく、家庭や社会でさまざまな苦難と立ち向かう女性たちの精神的な支えともなった。しかしながら時を経て過疎化も進み、この技術を継いでくれる人たちがいない。そこで若い人に向けた市場を築きながら、この技術を伝承させていく仕組みを作っていこう、という展開になった。
製品を企画して売るだけでなく、東京の女子高校生たちも一緒にワークショップも行う。その延長線上に今回のミラノでのワークショップがある。ぼくもオブザーバーで参加したが、一人のイタリア人の言葉が印象に残った。
「イタリアにもこれに似たリサイクル技術があるが、裂き織りと同じように死滅しかかっている。十和田の知恵を通じて、我々の技術の大切さを再発見した」