「京都党がどれぐらい票をとれたのか、と思うことはありますが、数字化はできません。現職の当選は、2期8年とマニフェストが市民から評価された結果だと思うので、それを受け止めたい」と江村氏。
市長選候補者は複数いたといい、村山氏ありきではなかった。「市民に新しい選択肢を示したいと思っていました」と語る。
ただ、市議会での京都党の立場が判断にも影響を与えたようだ。京都党は昨春の統一地方選・京都市議会で5議席を獲得し、議会での発言権を持つ「交渉会派」の立場を手に入れていた。村山氏が立候補すれば議席が減って交渉会派でなくなるため、立候補には賛成の声ばかりではなかったという。
「期待する声と、交渉会派になったのを捨ててまで挑むのは危険なのでは、といった意見がありました。選挙まで準備期間がなく、支援者幹部の方から『間に合わない』という声もありました。村山氏自身も悩んだと思います」
結局、村山氏は昨年12月末に立候補断念を決め、代表を辞任することになった。「村山氏は『自分の判断が混乱の引き金になっていると思うので辞任する』と。周りの人間は言葉が出ませんでした」