「村山学生部というのがあって、当時20~30人ぐらいいました。不祥事の現場調査や実態把握にかかわり、そのときに実態に驚いた。そこから京都市のために働くことに意識が向いていきましたね」
平成20年、大学卒業後は東京にある自動車部品の商社に就職し、商品開発を担当した。
「仕事内容は楽しかったけど、何のために仕事をするかと考えたときに、京都のために仕事がしたいというのが強くあって…。働いてからも何のためにというのが大事だったので、京都で政治家を目指そうと考えました」
そして23年4月、市議選(右京区)に立候補して初当選し、現在2期目。市議になって5年だ。
「言葉が出なかった…」
さて、京都党で勃発した“お家騒動”を振り返る。
共産対非共産の構図が定番となっている京都市長選。2月7日に投開票された今回も事実上、共産推薦候補と非共産系の現職の対決になった。選挙戦は現職がダブルスコアで勝利したが、京都党から候補者を擁立していれば、混戦になった可能性もある。