G8軽視の兆候は、プーチン大統領が3期目の任期に就いた2012年から現れていた。
プーチン氏は就任直後の日程が決まっていた米国でのG8開催について、「組閣作業に専念するため」として出席を拒否。就任演説でも、G8よりも先にG20(主要20カ国・地域)やBRICS(新興5カ国)に言及した。初の外遊には米国ではなくベラルーシや中国を選んで、米露関係の根本的見直し「リセット」にも当初から、消極的な姿勢を明確にした。
ソ連時代からの伝統で、国連安保理常任理事国や核大国としての立場を重視してきたロシアは、プーチン政権下で石油ガスなどのエネルギー外交を武器にして、国際社会で地歩を固めてきた。
昨年(2013年)のシリア化学兵器の廃棄をめぐっては、態度が二転三転したバラク・オバマ米政権を横目に、ロシアが影響力を発揮した。
プーチン氏は昨年(2013年)末の年次教書で、「より進歩的といわれる発展モデルを他の国々に押しつける試みが実際には退化、蛮行、大量の流血へと至る」と強調。米欧主導の世界秩序の構築に反発を示してもいた。