しかしそれは読み狂人がアホだからそうなるだけで、じゃあ、日常の些事でない、大所高所天下国家思想哲学宗教歴史みたいなことを考えればよいのかというと、まあもちろんそれは首尾一貫した、考え、であるには違いないだろうけれども、その考えはあくまでも、社会の仕組みのなか、に収まる考えで、本来の、考え、に含まれてあるべきものが痺れたように固まって動かないでいるような気がする。っていうかねぇ、読み狂人は実は本当は社会の仕組みというものは、そうしたことを考えないようにするためにあるのではないか、と思っているのじゃが。しかし恐怖をもたらすためにはそれに挑まなければならず、それを敢然とやっている作者の、考え、はときに突飛&突破。小説の恐怖が笑いに突入してむっさおもろいね、と読み狂人、思たわ。
チャンドラーばっかし
ところでこれまで隠していて申し訳なかったが、読み狂人、実は書き狂人でもありますねん。私は書き狂人。朝から晩まで書いて書いて書きまくり、書きに狂いて牡蠣の養殖を始めたる者。みたいな。