恐怖が笑いに突入
そしてそんなことではあかぬなあ、と、思ったのは、貴志祐介の随筆集、『極悪鳥になる夢を見る』を読んでしまったからである。
貴志祐介は絶大な人気を誇る恐怖小説の大家である。ここではその小説家の日々の折々のことが描かれているのだが、もちろん、恐怖小説家だからといって、その日常が恐怖・叫喚に溢れて、自宅に拷問ルームがあったり、冷蔵庫に生首や内臓が入っていたりするわけではなく、その日常は一般の人間と大して変わらないように見える。
ただ一点、普通とは違っているなあ、と思うのは、右に申し上げた、社会の仕組みのなかで漫然と生きている人間がほとんどなにも考えないで生きているのに比して、作者はそういった人たちが考えないでいることをひたすら考えて日々を生き、それを仕事に生かしているのだなあ、ということで、たとえばいま読み狂人は読み狂人が日常のくだらないことを断片的に思うのみで、それを考えと呼ぶことはできないと言った。