本来、「人」の手で提供されるサービスは有料
「人」によって提供されるサービスは有料である。有料だから、サービスの良しあしに値段がつく。でも日本では、例えば国外の感覚なら最も低級のサービスしか期待できないだろうコンビニでさえ、「日本人の感覚では当然」にこやかで迅速なサービスが提供される。
どこに行っても礼儀正しく空気を読んで気遣いができて効率的にお釣りを渡せるのが「基本」として期待される日本人のサービス。その価格はいかほどか? その価値は、いつのまにか日本人社会自体から買いたたかれていないか?
日本の過重労働の温床とは「過剰なサービス社会」そのものだという認識は、海外生活を経験したことのある人には比較的共有されており、どこかで日本はドライになっていいし、なるべきなのにという思いを持つ人も多い。海外メディアでKaroshi(過労死)という言葉につく”Death attributed to overwork”(働きすぎに起因する死)との注釈には、「働きすぎが原因で死んじゃうんだぜ? なんでそこまで働くの? 信じらんねーだろ?」といったニュアンスが含まれる。
サービス効率や迅速な対応よりも、礼儀正しさのほうが大事?
アメリカン・エキスプレス・インターナショナルによる「世界9市場で聞く<顧客サービスについての意識調査>」を見ると、各国のサービス観の違いが浮き彫りになっている。「購入先の変更を検討する前に、何回までならひどい顧客サービスを我慢できるか」との問いに「一度でもひどい顧客サービスを受けたら直ちに別の会社に替える」と答えた日本人は56%、他の8カ国がみな20%から30%を示す中で1国だけダントツに高い。
しかも、日常で受けるサービス全般に対して、”日本は「期待を上回る顧客サービスを受けている」(4%)と「期待通り」(41%)を合わせた割合が45%と半数を割り、9市場中で群を抜いて低い結果”(同調査より)を見せており、日本人のお客さまは海外から見れば既に「やりすぎ」の感さえある現行の国内サービスに対してさえもまだご不満でいらっしゃるのだ。恐ろしい! お客さまはどんだけ神様なのか、日本。