結婚を機に退職、長男が生まれたが、ほどなくして夫の実家が経営する会社が多額の借金を抱えて倒産。夫が両親に提供していた資金の回収も難しくなりたちまち生活苦に。長女の出産後に大阪市の給食調理員として働いた。
慣れない職場に苦労するなか、長女が度々ミルクをはき出した。「どこの病院でも風邪と診断されたが治る気配がなく、しばらくは原因不明の症状に心を痛める日が続いた」(大河原さん)。結局、内臓の先天性の難病と判明して手術し、完治するまでに1年半かかった。
折り合いの悪かった夫の両親との同居は息苦しく、給食調理員の仕事は待遇や給料に不満はなかったが、決められた献立を淡々と調理する仕事にはやりがいは見いだせなかった。心安らぐ時間がなく、ただ生活に追われ、体調を崩すことが多くなった。
転機
くじけそうになった大河原さんに転機が訪れたのは平成20年。41歳のときだった。友人に誘われ大阪市内の速読教室に通い始めたのだ。