私にとって「直木賞」は、テレビや新聞の中の出来事だった。半年に1度、いろいろな受賞者が出る。茶の間でテレビを見ながら、へえ、あの作家さん、とっくに受賞してはると思ってたのに、まだやったのねと思うことも、こんな作家さんがいたのか、どれどれ、ちょっと読んでみようとメモすることもあった。
小説を書くようになっても、それは変わらなかった。しいて言えば、デビューのきっかけになった「小説現代長編新人賞」の選考委員の名を呼び捨てにできなくなったことぐらいだ。もちろん誰にアドバイスされたわけでもない。私の作品を読んでくれた人は「イジュウインシズカ」ではなく、「伊集院さん」というリアルな存在になったのだ。
けれど文学の世界は、ずっと遠いままだった。私のデビュー作は全く売れなかったのである。ライター仕事を続けながら次も書いたけれど、出版に漕(こ)ぎつけるのさえ容易ではなかった。評判もぱっとしない。それでも、ぽつり、ぽつりとまた次を書いた。
正直に申せば、そもそも仕事を持ちながら家事をする私がもう一つの仕事を持つということは、周囲への影響が大きい。締め切りの前になれば徹夜することもあるので、次の日は使いものにならなかったりする。お昼前にノロノロと起き出したら、洗濯物を干している夫の後ろ姿が見えた。なんだか胸が詰まって、私はとんでもないことを始めてしまったのだろうか、そう思ったこともある。