マッハ5の砲弾…1秒の判断遅れが命取り 衝撃的な“戦車戦秘話”

 

【銀幕裏の声】“戦車道”の達人・元陸自連隊長が語る秘話(下)

 今年は世界初の戦車が英国で誕生し、ちょうど100年…。M4シャーマンから国産初の61式、74式、90式と陸上自衛隊の歴代主力戦車を乗り継いできた「戦車道」の達人、元陸将補の木元寛明さんが、謎のベールに包まれた戦車戦の一端を「戦車の戦う技術」(サイエンス・アイ新書)で明かしている。「戦場ではたった1秒の判断の遅れが命取りになります。戦車の砲弾のスピードはマッハ約5。つまり飛距離は1秒間で約1600メートル。相手との距離が1・5キロだと、この1秒の判断を誤った方が撃破されるのです」。戦車連隊長などを歴任してきた木元さんが語る“戦車戦秘話”はあまりにも衝撃的だった。(戸津井康之)

 戦車道の入門書

 “ガルパン”と呼ばれる人気アニメ「ガールズ&パンツァー」は“戦車道”に懸ける女子高生たちを描いた異色の戦車アニメ。各校が操縦する戦車同士の模擬戦闘が試合競技。つまり、武道のひとつとして戦車道が描かれているのだ。また、戦車の技術的な解説や戦車史が詳しく描かれ、大阪のある大型書店では、この「ガールズ&パンツァー」にちなみ、“戦車道の入門書”として、木元さんの新書が紹介されている。

 「なぜアニメで戦車道を?」。こんな疑問を持つ人は少なくないかもしれない。

 この疑問を解くカギとして、映画「フューリー」で主演の他、プロデューサーも務めたブラッド・ピットが、とことんこだわった戦車乗り“タンカー”たちの描写を振り返ってみたい。

 1台の戦車には、司令塔となる車長、砲弾を撃つ砲手、戦車を動かす操縦手、砲弾を補給する装填(そうてん)手の4人(自動装填機が装填手の役割を担う3人乗りの最新戦車もある)の乗員が、ひとつのチームとなって乗り込む。

 「ヒューリー」では車長役のピットが、ふだんの軍隊生活では部下に厳しいものの、極限の戦場では3人の乗員を家族のように守り、自らの命を懸ける様子が描かれていた。

 「ガルパン」に込められたメッセージも同様だ。対抗戦では何よりもチームプレーが重んじられ、戦車道を通じ、仲間とともに心身を鍛えあげていく女子高生たちの成長の姿が描かれている。

 戦車道を語る場合、苛烈な“戦車戦の真実”について触れないわけにはいかないだろう。同書のサブタイトルは、「マッハ5の徹甲弾が飛び交う戦場で生き残る」だ。

 冒頭の木元さんの言葉で紹介した、戦車の砲塔から飛び出す砲弾のスピードはマッハ5-という事実。

 「あの影は敵か、味方か?」。戦場における、このほんの一瞬のためらいが、4人の命運を左右するのだ。

 司馬さんは正式な戦車小隊長だった!

 作家の司馬?太郎さんが学徒出陣し、陸軍少尉で、戦車小隊長だったという話は有名だが、司馬さん自身、あまり当時のことを著作などに詳細に書き残していない。

 日本の戦車史にも詳しい木元さんは「実は司馬さんは日本陸軍で正式な戦車小隊長の教育を受けていたんですよ」と明かす。

 木元さんによると、司馬さんは昭和19年、幹部候補生として旧満州の四平陸軍戦車学校に入校、約8カ月間の教育を受けていたという。

 「司馬さん自身はその経歴を“インスタント将校の養成所だった”などと謙遜しながら語っていますが、これは正規の教育だったのです」と木元さんは説明し、こう続ける。

 「司馬さんが受けた教育は、『四平陸軍戦車学校史』によると、現在の陸自富士学校の機甲科幹部初級課程に相当することが分かります。私が昭和44年、ここで履修したカリキュラムは司馬さんが戦車学校で受けた教育課程表とほぼ同じでした」

 司馬さんの“インスタント将校”などという自信のない発言に対し、木元さんは最後にこう付け加え、苦笑した。「司馬さんは、どうやら戦車兵には向かなかったようですね」

 “タンクキラー”攻撃ヘリとの死闘

 戦車の歴史において、長らく“戦車の敵は戦車”といわれてきたが、近代戦ではさらに強敵が現れる。“タンクキラー”と呼ばれる攻撃ヘリの存在だ。

 例えば、陸自でも導入している米軍の最新攻撃ヘリAH64アパッチの戦闘データとして、かつて対戦車戦において1対19という驚くべき数字が公表された。つまり、アパッチ1機で戦車19台と戦えるという意味だ。

 しかし、木元さんはこう反論した。

 「このデータはあくまで外国の広大な砂漠や平野での戦闘の結果。これが木々が生い茂る山中などだったら、結果はどうなるか? 例えば日本の北海道など…。隠れることのできない戦闘ヘリの方がむしろ不利ではないでしょうか?」

 では、戦車戦を知り尽くした歴戦の“タンカー”木元さんなら、どんな対戦成績を予想するか?

 「自分だったら1対1まで持ち込めますよ」と自信を見せた。ホバリング中のヘリなら3キロ離れていても戦車砲で撃墜可能だという。

 陸自幹部時代、木元さんは米国へ留学。米国の主力戦車M1エイブラムスの製造工場や米最新鋭戦車の研究開発現場などへも訪れたという。陸自で90式まで乗り継いだ木元さんは、その後の日本の新型戦車の研究開発の任務を負い、米国で学んでいたのだ。

 このときの成果が反映され完成したのが、現在、世界最高峰の能力を持つといわれる陸自の主力戦車10式だ。