今回の建物跡は、大型建物跡の東36・5メートルに位置する。用途は不明だが、3棟と同じ方位で、中軸線上に並んでいた。
纒向遺跡は初期ヤマト政権の邪馬台国の有力候補地とされる。中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」は、卑弥呼の宮殿について「楼観(ろうかん)や城柵(じょうさく)を厳かに設け、兵が守衛する」と記述している。
石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)の話 「建物配置には計画性が感じられる。大型建物跡は、卑弥呼やその後擁立された台与(とよ)の館の可能性があり、他に建物跡がないか、さらに確認することが必要だ」
現地説明会は9日午前10時~午後3時。問い合わせは市纒向学研究センター((電)0744・45・0590)