「ペッパーランチ」の創業
そんな一瀬氏が起業家として名を馳(は)せたのが「ペッパーランチ」の創業だった。お客さんの皿に盛れる「価値」は、原価が掛かることばかりではない。ペッパーランチの売りはカンカンに熱した鉄板に、ライスと肉とソースをのせると、ジューッとえも言われぬ音と香りが立ちのぼる点だ。店はガス代が掛かる程度だが、お客さんにとってはたまらない。店は流行った。
だが、落とし穴が口を開けて待っていた。東証マザーズ上場後、大阪のペッパーランチで当時の業務委託者が刑事事件を起こしたのだ。
もちろん一瀬氏にとっては青天の霹靂(へきれき)だった。だが、彼は腹をくくった。自分が悪かった、と全責任を取ると決めたのだ。ならば世間を騒がせたことを謝罪しなければいけない。彼は記者会見を断行した。
「あとで『一瀬さんが悪かったわけじゃないのに、何もそこまでしなくても』と言う人もいました。でも、私の脇が甘かったんです。そうやって責任を取るのが『経営者』なんです」
何台ものテレビカメラが冷たく見つめる中、一瀬氏は深く頭を垂れた。
「記者さんに『委託者の顔写真がほしい』と言われ『まだ起訴されていないのでお渡しできません』と言った以外、謝り続けました。会見終了時刻になると、隣にいた役員が打ち切ろうとしましたが、私は『質問が終わるまで会見は終えない』と言いました。最後のテレビカメラのスイッチが消えたのは、記者会見開始から2時間半後。すると、残った記者の誰かが私にこう言ったんです」
「社長、大変でしたね」という言葉だった。
「もちろん『私の責任です』と答えましたが、素直にこの言葉は身に染みました。できる限りのことをすれば、せめて誠意は感じてくださるのだな、と。だからこそ逃げちゃダメなんだ、と」