ステーキ王の原点
一瀬氏は戦争中の1942年の生まれ。母子家庭で貧しく、しかも母は病弱で、彼は子どもながら包丁を握り、よく母のためにみそ汁を作ったという。母が「今日のは格別だよ」と誉めてくれる時が、邦夫少年にとって最も幸せを実感する瞬間だった。多感な時期の一言は、聞いた人間の生涯を決定付けることがある。彼は高校を卒業し「もっと母ちゃんを喜ばせたい」と、東京・浅草の有名店のコックになった。
入社した初日にも、彼の生涯を決定付ける出来事があった。優しい先輩に「好きなものを食べていいぞ」と言われ、彼は人生で初めて食べるビーフステーキをねだった。ところが……。
「先輩は、あとで何か理由をつけ『ポークソテーにしなよ』と仰ったんです。すぐ先輩の気持ちは分かりました。ビーフステーキは僕の1カ月の給料と同じ、3000円だったんですよ。さすがにそれはまずいと思ったんでしょうね」
夢中で豚肉を頬張った。しかし一瀬氏はこのとき「いつか熱々のビーフステーキを心ゆくまで食べたい!」とも願った。そして数日後、彼は厨房で、お客さんに出さない牛脂の切れ端を焼いて食べた。
時代は高度経済成長の真っ只中だった。読売ジャイアンツの長嶋茂雄選手が天覧試合でホームランを放ち、プロレスラーの力道山が大活躍したのはまさにこの頃で、日本人はみんな「豊かになりたい」と願っていた。そんな時代を背負って食べた牛脂の味は、一瀬氏の心に突き刺さった。
「いやぁ……今も忘れませんよ。うまい、うまいなぁ! と、言葉も出なかったですね」
実は彼、人間くさいエピソードには事欠かない。その後、懸命に働いた一瀬氏は、30歳を前に独立し、東京・向島でステーキ店「キッチンくに」をオープン。店は繁盛したが、彼はこの時、遊びの味を覚えてしまったという。
好事魔多しとはよく言ったもので、店を終えるとついつい楽しげな店に足が向き、せっかくの資金を散財した。しかし、彼は頬を叩かれるより強烈なパンチを喰らう。