【酒豪女子が行く】(1)ビール界のオスカー受賞、伊勢市のブルワリーに世界が注目 餅屋から飛躍した社長の“型破りな創業” (3/4ページ)

 というわけで挨拶もそこそこに、IBAで金賞に輝いた「ペールエール」を早速頂く。

IBAで金賞を受賞した「ペールエール」

IBAで金賞を受賞した「ペールエール」

 グラスに顔を近づけただけで柑橘系の華やかな香りに包まれる。口にふくむとホップの香りがのどの奥までフワっと広がり、思わず顔がほころぶ。口当たりは豊かだがすっきりと飲みやすく、クラフトビール初心者にも人気が高いのは納得。鈴木社長がこだわり抜いたペールエールは「ファンには『伊勢ペ』と呼ばれ愛されている看板ビール」とのこと。

ファンには「伊勢ペ」と呼ばれて愛される

ファンには「伊勢ペ」と呼ばれて愛される

 それにしても、餅屋なのにビールを造っているなんてなんとも不思議だ。ビール製造に参入したのは97年。当時、専務取締役だった鈴木社長はルーティン化した商売に飽きを感じていたと言う。「東北大学時代の専攻が海洋性プランクトンの生理活性物質の研究であり、幼少期からの微生物好きが高じました」と“型破りな創業”のきっかけを話す。父親で前社長の宗一郎さん(85歳)に話すと「やってみればいい」とあっさり。うまくいけば新規事業として育ってくれればという淡い期待と、味噌醤油の醸造の経験もあったため、「製法がより単純なビールなら、努力次第では世界で戦えるのでは」と判断した鈴木家。思いのほかに順風満帆に事業が始まった…ように見えた。

地ビールブーム終焉後の苦境「視界から色が消えるほどのストレス味わった」

 今でこそ市民権を得たクラフトビールだが、90年代にも一度、「地ビール」としてブームが起きている。94年に酒税法が改正され、ビールの最低製造量が年間2000キロリットルから60キロリットルへ大幅に引き下げられた。これを機に全国に地ビールメーカーが次々と誕生。伊勢角屋麦酒もその中の一社だった。「97年末で国内に50社ほどしかなかったですが、その後2~3年で一気に200社を超えました。97年、98年創業組がすごい多いんですよ」と鈴木社長は当時をふり返る。

創業半年でブーム沈静化…「どツボにはまりました」