「大型客船」「MRJ」… 負の連鎖が続いた三菱重工が“サプライズ”に沸く訳 (3/3ページ)

  • 5度目となるMRJの初号機引き渡し延期を発表する三菱重工業の宮永俊一社長=1月23日、東京都港区の三菱重工本社
  • 三菱重工業が建造した大型客船「アイーダ・プリマ」

 川崎重工は、国際石油開発帝石の関係会社が豪州北部で進めるLNG事業の一環として、12年5月に約600億円でタンク4基を受注。現地の建設大手ラング・オルークに工事を任せ、昨年6月に完成させる計画だった。

 ところが、ラング・オルークが4カ月分の代金が支払われていないとして工事を中断、約800人の作業員を現場から引き上げた。「契約に基づいた代金はすべて支払った」と真っ向から反論する川崎重工は、法的措置も辞さない構えで、すでに新たな工事業者を探しているという。

 三菱重工と川崎重工のトラブルに共通するのは、海外を舞台としている点だ。

 三菱重工は、17年3月期見通しで4兆円の連結売上高を、来期は一挙に5兆円まで増やす目標を掲げる。国内市場が停滞するなか、目標達成には海外進出が不可欠とはいえ、「それに付随してリスクも高まらざるを得ない」(外資系証券アナリスト)。

 大型客船は撤退を表明済みで、損失がこれ以上膨らむ恐れはほとんどない。だが、MRJについては「開発がどの辺まで来ているとはっきりいえる段階ではない」(三菱航空機の篠原裕一業務執行責任者)。 

 置かれた立場を見透かしてか、裁決結果が発表された3月14日に前日より22円も高い470円80銭に跳ね上がった株価は、4月3日には448円60銭と、発表前の水準まで逆戻りしてしまった。今回の裁決が追い風になるのは確かだが、試練は当分続きそうだ。(経済本部 井田通人)

■三菱重工業 三菱グループの中核企業の一つで、1884年に三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎(いわさき・やたろう)が政府から借り受けて始めた長崎造船所が発祥。1934年、船舶のほか重機、航空機、鉄道車両を加え、社名を三菱重工業に変更した。戦後の財閥解体で3社に分割されたが、64年に再合併して新生・三菱重工業が発足。70年に三菱自動車が独立した。第2次世界大戦では零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を製造した。現在は原子力や火力などの発電所関連設備や民間航空機、船舶、鉄道、防衛装備など多様な製品を手掛けている。子会社の三菱航空機(愛知県豊山町)で国産初のジェット旅客機MRJ(三菱リージョナルジェット)を開発している。