ところが、ITバブルの崩壊後、総花経営があだとなり業績が悪化し、16年10月の新潟県中越地震で半導体工場の被災が予想以上に大きく、それを機に経営危機が表面化した。17年3月期は1700億円超、翌18年3月期は2千億円超の最終赤字を計上した。
ある元三洋社員は「すべて地震で経営危機に陥ったといわれるが、もっと前から家電事業が不振になっていて実際の社内は火の車。それが地震で一気に表にでたということ」と振りかえる。
17年に会長から代表取締役兼取締役会議長に就任。その際、長男の敏雅氏を社長に引き上げ、会長兼CEO(最高経営責任者)に元ニュースキャスターの野中ともよ氏を起用。サプライズ人事は注目されたが、批判の声も強かった。
銀行の管理下へ
最後の直轄事業の売却が発表され、三洋“消滅”がカウントダウンに入った3月下旬、兵庫県内の井植邸を訪ねた。呼び鈴を押すと邸内に招き入れられ、わずかな時間だが、井植敏氏と話をすることができた。