中部は「大阪開通が遠いほど良い」
JR東海は昭和62年の発足後、関経連や大阪商工会議所、関西経済同友会、京都商工会議所など関西の経済団体に相次いで加入、関西財界に足がかりをつくった。昭和63年、大阪商工会議所は副会頭がトップの「建設促進懇談会」を設置。当時、リニア計画はまだ夢物語で「JR東海は意気に感じ、大商の活動に積極的に取り組んでくれた」(大商関係者)という。
ただその後、次第に活動は低迷。現在は関経連や関西経済同友会では委員会に所属せず、実質的な活動はほとんどない。関西財界側も、JR東海への接触は少なかった。評論家で徳島文理大教授の八幡和郎氏は「関西財界はリニアにどう取り組むか、JR東海や国と対話をしてこなかった。反省が必要だ」と手厳しい。
JR東海の計画発表から6年間、財界でまとまった活動がなかったことも痛手だ。関西財界関係者は、「現実味がなかった。民間企業の事業に、要望活動をするのは変という感覚もあったのでは」と話す。関西側は巻き返しを図る構えだが、先行きは不透明だ。