《タクシー会社を経営していた父親の影響で車好きに。大学卒業後、レーシングドライバーを経て始めたカー用品会社が倒産、3億円の負債を抱えた。借金返済のためタクシー運転手や男性誌への自動車紹介記事を執筆していたが、過労で長期入院。このとき、病床で当時の自動車メーカーの問題点を書き連ねていた》
道路が舗装されていなかった戦後すぐなら、乗り心地が悪くても頑丈な車であればよかった。それが、誰にでも手が届く時代になると、メーカーはユーザーの気を引こう、買わせようと多くの車種を作る。一つのメーカーで90種類もあったからね。ユーザーは何を基準に選べばいいのか迷うはず、と。一方で、ユーザーもメーカーに不満を訴える知識をもたなくちゃダメだと考えていた。
車で最も大事なブレーキの利きが悪いとか、もっと排気量の少ない車種を作れとか、出版の予定もないのに書きためていた。それを知人を介し草思社の加瀬昌男社長(1931~2011年)に見せたら、出版してくれると。メーカーの意向は一切気にしなくていい、とね。