当時の事業部には、化粧品製造の設備がなかったため、OEM(相手先ブランドによる生産)をしてくれる企業を探した。関連業界に足がかりもなく、当初は、電話帳を開いてパートナー探しを始めたという。
やっとの思いで見つけたパートナーに、「そこまでこだわるのか」と驚かれ、時にはあきれられるまで試作を繰り返し、使い心地の良さを追求して改良を重ねた。その積み重ねが、無香料・無着色・無鉱物油ながら、使い心地の面でも満足の行く商品へと結実した。「当初はベージュに近く、化粧品のような感じではなかった」という色も、初代のゲルで実現した透明に近い白色になった。
完成前には、城野会長のクリニックの来院患者に薬壺に入れて渡しており、「あのクリニックでもらえるゲルがいい」という評判が次第に広まっていた。完成後には遠方からの患者も多く訪れるようになったため、「いつでもどこでもゲルを入手できる環境を」と通販事業に乗り出した。代引き発送は法人でないとできなかったため、慌てて起業したのが、現在のドクターシーラボだ。
石原社長は当初、商品を自ら売り歩いた。相手先の一つが当時化粧品のセレクトショップを日本でも展開していた米セフォラ。セフォラで当時の日本では珍しかった医者が作った化粧品を意味する「ドクターズコスメ」のナンバーワンを獲得したことで、雑誌などにも取り上げられ、一気に人気が拡大した。
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