社長の磯野謙氏は「ぼくの親や祖父くらいに年齢が離れていると、息子や孫の言うことは耳を傾けてやろうかという気になってくれるようで…」と笑う。そして表情を変え「今、全体がよく分かるエンジニアは引退した世代の方たちに多いので、我々はそういった人たちに設計をお願いしています。日本には宝のオジサンが沢山います」と語る。
土地の人たちや世代の違う人たち対する敬意が自分たちのビジネスの鍵だと言う。
磯野氏は小さい時からスノーボードが好きだった。小学校の途中から高校まで米国で生活し慶応大学で環境政策を学んだ。途上国を旅した際に自然問題に気がついたが最初はリクルートに就職した。「ふつうの広告営業でしたが、あんまり優秀な社員じゃなかったです」と苦笑する。
その後、風力発電のベンチャー会社に転職した。自然発電ビジネスの1から10までを経験しながら時間をみつけてはサーフィンに興じた。しかし、その会社でやれることに限界を感じた彼は、米国コロンビア大学及び英国ロンドンビジネススクールにてMBAを終了。その間に再生可能エネルギーの会社を仲間たちと起業することにした。
そうした準備中の2011年、東日本大震災が起き原発事故に世界の目が注がれることになった。一気に再生エネルギーがビジネスの焦点になる。
磯野氏らは世界各国にリサーチの旅にでた。再生可能エネルギー関連の企業を巡ったのだ。ドイツのユーイ社も貧乏旅行をしながら、たまたま紹介する人との巡り合いがあり訪問した企業だった。インテリアも雰囲気も人の感じもピンとするものがあった。スマートだったのだ。ユーイ社も複数の日本企業からアプローチを受けていたが、大企業とはあまりつきあいたくないとアジア担当が答えた。
従業員1800人、売り上げ規模1000億円の企業との相性が合ったのだ。