この1月、モスクワから本田圭祐がACミランにやってきた。さんざん移籍を噂され続けてきたが、「やっと」だ。現在、ACミランはセリアAで10位周辺と低迷していて本田に対するファンの期待も大きい。が、同時にプレッシャーも大きい。1月12日のサッスオーロ戦後半20分からのプレーについても侃々諤々だ。
さて、記者会見での期待に応えるべく全力でプレーしたいとの英語による意思表明を聞きながら、1998年に中田英寿さんがペルージャに入団した時のことを思い出した。あの時は通訳を介したものものしい風景だった。
中田さんはイタリア語が喋れるようになっても公の場では通訳を伴うことが多かった。あれから16年を経てイタリアのサッカーにおける日本人の存在感も大きく変わった。インテルの長友佑都はイタリア語でインタビュアーの質問にリズムを外さずに答えている。
もちろん中田さんへのマスメディア攻勢は凄まじく、誹謗中傷を避けるための防衛策がより必要であったことは否めない。現在、日本人選手が30人近くヨーロッパ各国のリーグで活躍している。当時と今では、一人に対する目線の数が圧倒的に違うのだ。