ミラノの創作系男子たち

「生活とは何かを考えさせる国」選んだ日本人の遍歴 独自の想念が作品生む (1/3ページ)

安西洋之
安西洋之

 アート作品は、ぽつんとおいた一点でみるのではない。1人のアーティストの長い遍歴を辿ってこそ面白い。アーティストの頭のなかの動きの変遷が、その人のさまざまな表現を通じて自ずと迫ってくる。この瞬間に世界の見方が変わる。それがアート観賞の醍醐味である。

 このことをぼくにしっかりと教えてくれたのが、廣瀬智央さんだ。2010年、パリで開催されたモネの生涯の作品を集めた展覧会でも、それを丁寧に解説してくれ、その経験がぼくのそれ以降のアート観賞の基礎になっている。

 およそ30年来の友人で、お互いにトリノに住んでいる頃に知り合ったが、現在はミラノに住んでいる。

 その間、フランス、オーストリアそしてイタリアで何度も数週間のバカンスを家族ぐるみで過ごし、数えきれないほどの回数の食事(それも彼の手によるものも!)を共にし、可能な限り展覧会には足を運び、彼のコンテンポラリーアートについての考えをたっぷりと聞いてきた。

 「今回は友人を題材に選んで手抜きか」と思われるかもしれない。だが、逆である。だからこそ、今回のコラムは下手を打てない。ご本人に「安西さん、ちっとも理解してくれてなかったのですね」とため息をつかれるのではないか。そう恐れている。

 廣瀬さんは、1990年代初め、日本のコンテンポラリーアーティストの留学先が仏米英に偏りがちだった時代、あえて“コンテンポラリーアートの周縁”に位置するイタリアを留学先に選んだ。

 「自分の目指すアートの方向としてイタリアを活動のベースに選んだのは、30年近く経た今も後悔していません」と語る彼は、1960年代後半以降、イタリアにはじまりアートの世界に多大な影響を与えた美術ムーブメント「アルテポーヴェラ」の発信地に自分のターゲットを絞ったのだった。

 この運動はアートに伝統的に使われていた材料を放棄して(あるいは「材料を解放」という表現が適当か)、まったく新しい-しかし日常生活では普通に使われている-素材を積極的に使いだしたのである。同時期、日本にも「もの派」という似た動きがあったが、イタリアの動きが世界では存在感を放っていく。その差はイタリアでは作品のアーカイブと批評空間が機能しているからだ。

 1970年代後半から1990年代にかけての時期、ちょうど廣瀬さんがイタリアに住み始めた頃、「アルテポーヴェラ」の評価は揺るぎないものになっていく。

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