日本に戻って家族と生活したいと思ったのもある。塚嵜さんは高校・大学時代と京都の寮で生活したので、15歳から一人暮らしだった。東京での1年間のインターン生活で久しぶりに横浜の実家で生活したが、パンデミックを機に、家族の存在の大きさを感じた。また、リールでホストファミリーに溶け込んだ結果、日本の家族と時間を過ごすことも今の自分にとっては大事だと感じたのだ。
小中学校の時は英国において生活したことがあるが、フランスでの生活は初めてだった。その生活を始めておよそ半年後にパンデミックになった。
ソーシャルディスタンスが必要な社会が到来した。もともとフランスでの他人との距離感の取り方が不案内なうえに、新たな距離が要求された。どのタイミングで他人の領域にどう踏み込んでいいものなのか、フランス人同士さえもが戸惑っているところに日本からの留学生が立ち向かうのは、相当にややこしい。
しかし、予想外の展開のなかでも塚嵜さんは前進した。昨春はリールのホストファミリーやその親戚と一緒に布マスクを作り近所の人たちにも配り、修士論文は「日本のクラフト製品の欧州進出の仕方」をテーマとして高得点を得た。
インターンをした前述のフレグランスの企業では、環境のサステナビリティと自然素材をテーマに事業を企画するセクションに配属され、サステナビリティや自然素材に配慮するクライアント企業の商品開発を間接的にサポートする仕事を経験した。
裏を話せば、パドカレ地方観光局でのインターンが内定していたのだが、パンデミックも考慮して辞退し、ほうぼう探したのちに見つけた職場がフレグランスの企業だった。この経緯を聞いて、実力もさることながら彼女は運がいいと思った。
運がいいというのは、職場が見つかったことだけを指すのではない。