ソ連時代のデザインをみると、グラフィックデザインもプロダクトデザインも、当時の西側諸国のデザインと比較して、そう遜色がないものがある。しかしながら、それらは西側諸国に定期的に視察団を送り、その時のトレンドを学んだ結果である。
ルータはこうしたデザインにNOと強く断言する。
「あの時代におけるデザインとは、政治的なコンテクストにおかれたものであった。自由主義圏のデザインに決して見劣りはしていないことをアピールするデザインである。プロパガンダであり、デザインとは呼ばない」
前述したデザインにおける審美性再評価の論議をリトアニアの文脈におくと、より一層、社会が成り立つうえで審美性への重視が必要不可欠な要素であることが浮き彫りになってくる。
審美性というと、趣味生活や感性豊かな教育を連想する向きもあるかもしれない。仮にそう連想するならば、感性とは自由な社会を保つに基本的な素養である、との認識のうえに立たないといけない。
このような観点は、日本でも第二次世界大戦中の検閲社会において十分に訴えられ、戦後の冷戦時代においても議論が尽くされたはずだ。それがどの程度、社会に定着したかはさておき、身体をはってその価値を守ろうとした人たちは少なくない。そうした貢献があることを、過去のある時期まで、人々は少なくとも気づいていた。
残念ながら、日本はもとより、現代の先進国の一部ではその議論の存在自体を忘れてきた。