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キレイな「お化け」から見た北新地の“二極化問題”
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大阪・北新地で2月1日、伝統の「お化け」が繰り広げられた。ホステスやママがさまざまな仮装をして通りを歩いたり、店で客を出迎えたりする恒例の節分行事。厄払いを目的に始まったとされ、不景気の最近は街を少しでも明るく盛り上げようという意図も。キレイどころのコスプレ行進には酔客も目をとめたが、一方では「話題作りだけで客は来ない」と冷めた目で見つめる経営者もいる。そこからは、北新地の抱える「構造的な問題」も見えてくる。(高田清彦)
夜の北新地。お化けのパレードではクラブやラウンジのママ、ホステスら約100人が仮装して本通りなどを練り歩いた。
花魁(おいらん)風、歌劇風、歌舞伎風の衣装あり、アニメ風、メルヘン風、SMの女王様風あり…。奇抜な仮装もあったが、そこはお水のお姉さん方、セクシーに艶やかに「お化け」をこなしていた。
新地内の巡行では行き交う人と写真に収まったり、なじみ客に声をかけたり、かけられたりといった光景も。AKB48のようなチェックのブレザー、ミニスカート姿で参加したグループは、「AKBです。ちょっと、年いってますけど~」などと言いながら周囲を笑わせていた。
お化けは、仮装して鬼を追い払う(厄除け)という江戸期からの花街の節分行事で、約50年前までは各地で見られた。昔は舞妓・芸妓が丸髷(まげ)に結って“町の奥さん風”を装ったり、歌舞伎の役どころや男にふんしたりしてお座敷を回ってご祝儀をもらったという。
現在はあまり行われなくなったが、関西では京都・祇園と北新地に残り、衣装は現代的なコスプレ風が多くなった。
北新地社交料飲協会の関係者によると、北新地のお化けは祇園を参考に昭和30年代後半から始めたといい、意外に歴史は浅い。もともとは各店で行っていたが、同協会や地元の地域団体、経済団体が中心となって10年前から始めた「堂島薬師堂節分お水汲(く)み祭り」の中で巡行を行うようになった。
同祭りは、新地に伝わる節分祭と堂島薬師堂お水汲み祭りを一つにしたもの。今年も特設会場で芸妓衆の奉納舞などが行われ、龍の巡行に続いてお化けの一団がパレード。北新地クイーンらも参加して彩りを添えた。
同協会の関係者は「巡行は、お化けを店の中だけの行事にしておくのでなく、街全体のお祭りにしようと始めた。通りを練り歩くというスタイルはおそらく北新地特有のものでしょう」と話す。
祭りは老舗クラブのママや地元の企業関係者らも参加し、大いに盛り上がったが、かかわったスタッフの一人はこうつぶやく。「みんな街が活気づき、お客さんに少しでも足を運んでもらえたらという気持ちだが、これがなかなか思うようにいかなくて…」
北新地情報センター(KIC)が提供するサイトによると、北新地はかなり特異な街であることが分かる。店舗数3000以上の夜の街ながら風俗店が1軒もないのは、「世界広しといえども、おそらく北新地だけ」。また銀座は街の中に大企業の本社や物販の店などがあり、昼と夜の両方の顔を持つが、北新地はほぼすべてが飲食店で夜だけの営業になっている。
そんな通常の商店街や繁華街とはカラーが違う街だけに、特有の問題を抱えている。店舗関係者の多くがいうのは、街が一致団結して何かに取り組む、その取り組みによって各店を繁盛させる-というのが根本的に難しいということ。商店街なら店が協力してイベントを開き、客を集めれば、その人たちが店にも立ち寄ってくれるが、水商売の北新地ではそうはいかない。
新地のある店舗経営者はこう本音をもらす。「この街は一国一城の主の集まり。街や地域への貢献より自分の店を繁盛させることを大事に思っている。どこも少なくない資金を投入して店を開業し、水モノといわれる商売を続けていくのに必死で、そんな行事に時間と労力を使っている余裕はない。参加したところで客が来てくれるわけではないしね」
北新地ではこれまで、最寄りのJR東西線の駅名を「北新地」にすることや、電線の地中化や文化銘板の設置を柱とした本通りの美装化を実現。近年も北新地クイーンを選出するなど活性化に向けたさまざまな取り組みを続けている。
しかし別のバーの経営者は言う。「北新地の大きな行事に参加しているのは、老舗クラブのママら有名店の関係者ばかり。そうした人たちは企業など外とのつながりもあるし、街の顔として参加する意義があるけど、毎日汲々(きゅうきゅう)としている私らはちょっと…」。この経営者は以前、こうした行事の役員も務めたが、今は手伝う気はないという。
こうした声に対し、協会の関係者は「協会活動を面倒くさがったり、もうかってないことの言い訳に過ぎない。店が繁盛するかどうかは努力次第。名門クラブなどは確かに老舗の強みがあるが、不景気の中でも客を呼ぶ努力をしている」と話す。
北新地は、固定客を持つ老舗の高級店や最近増えてきた安い店がそれなりにはやり、どちらでもない“中間店”が苦しいといわれる。そんな中で「高級店」と「大衆店」、「繁栄する店」と「客を呼べない店」という二極化が進んでいる。人や店によって、街全体の取り組みや商売に対する考え方に“温度差”があるのは、そうした事情も影響しているかもしれない。