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【日本遊行-美の逍遥】其の十六(中川木工芸 比良工房・滋賀県) 個性豊かな木桶 ともに生きる

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【日本遊行-美の逍遥】其の十六(中川木工芸 比良工房・滋賀県) 個性豊かな木桶 ともに生きる

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板一枚一枚の微妙な曲線が、円形の桶を形づくる=2014年10月20日(井浦新さん撮影)  桶(おけ)は毎日のように使われてきた道具。水をくんだり、酒やしょうゆなどを貯蔵するためのものだ。シンプルな形ゆえに、木の特徴そのものが生かされる。京都一の桶職人と呼ばれた祖父、重要無形文化財保持者の父を持ち、三代目として比良(滋賀県大津市大物)で木桶をつくり続ける中川周士(しゅうじ)氏の工房を訪れた。

 桶に向くのは、桧、杉、椹(さわら、桧の一種)、槇(まき)などの針葉樹である。針葉樹は真っすぐに伸び、木目が素直で、水に強くて狂いが生じにくい。木の種類によっても用途が異なる。

 香りが強く殺菌効果の高い桧は浴槽やたんすに、椹は香りがやさしく酸にも強いので、お櫃やすしの飯切り、料理の器などに向く。高野槇は水に強いので、浴槽や湯桶、腰掛けなどの材料に。杉は木目が強く風格があり、香りは酒に合うので、酒器や調度品にも使われる。先人たちが蓄積してきた知恵が伝承され、いまに至っている。

 「木は優しく、人とともに生きていくもの。木造民家も人が住まなくなると突然朽ちる。毎日掃除をし、雨戸を開けて風を入れ替える。ともにいることでお互い長く生き続けられる。木は優しい存在で、実に人に近しいもの」。中川氏の話は、木を一面的に考えていた私の思考を、しなやかに解きほぐしていった。

 「木は生き物なので、曲がっていたり節があったり、年輪や油だまりの違いなど、人間と一緒でそれぞれが異なる。けれども、最終的に同じ製品にしていくのが桶屋の仕事ですから、その個性を整えていくのが難しい」という。

 ≪未来へ 手仕事の「哲学」引き継ぐ≫

 「たがが外れる」という慣用句がある。中川氏は「それを体験していただきます」と、一つの桶を私に手渡した。たがをグッと外してみると、バラバラっとあっけないくらいに、桶が複数の板きれになって散らばった。実際には、たがが外れただけではバラバラにならないよう、細かい竹釘で留められているのだが、桶は基本的に、木が外に広がろうとする力と、たがの絞める力の相互のバランスで形が保たれている。水が入るとさらに木が膨張して密着する。手中の力学。中川氏の柔軟な考え方は、伝統と革新、そして毎日の木との対話のなかで、磨かれてきたのだと感じた。

 中川氏の作品は、現代的なデザインとして欧米でも人気だと聞く。2010年に、シャンパンメーカーのドン・ペリニヨンの公式クーラーに選ばれた木の葉型のシャンパンクーラーは、いままでにないようなシャープな形だ。シャンパングラスにしても、美しいカーブ、持った瞬間の心地よさ、すっとした口当たりが素晴らしい。この「用」と「美」と「技」が結実した形は、どのように生まれているのだろうか。

 手仕事の未来に大切なのは、大事なものを見極めることだという。以前は、どこの家庭にもお櫃があった。しかし生活の変化から、お櫃を使う人は国民の1%以下に減った。お櫃そのものに固執するのではなく、お櫃を使う精神、それをつくる技術、素材を大切にする心、そういった「哲学」が大切で、それが宿るものは、時代時代で形が変わる。その「哲学」を引き継ごうとしたのが、氷を入れても外側に水滴がつかず、氷自体も溶けにくい、シャンパンクーラーだった。

 かつて京都に250軒あった桶職人も数軒に減った。一般家庭の桶の需要が1000分の1になった今でも仕事を続けられるのは、料理屋向けの器を作っていたことが一因だという。京料理に使われる白磁の薄い器には、ぶ厚くてゴツゴツした武骨な形は似合わない。お互いを引き立て合う上品な形が必要だった。さらに京都では、素材である木を他の所から運び込むことから、材料の単価が高かった。同じ材料で1個作るところを2個作る。デザインもおのずと繊細になる。そうやって、どの産地とも異なる独自の姿が生まれた。

 「若いときはいかに新しい意匠を生み出すかについて、夢中になっていたけれども、デザインって自然に生まれるものでもあるんですね」

 中川氏が大事にしているものに、言葉にならない言葉がある。職人の勘や経験、素材とのコミュニケーションを通して、対話しながら手にできる言葉。その言葉は、職人がいなくなることによって途絶えてしまう。それを次の世代に引き継ぎたい。素材の特徴に寄り添い、まるで木と対話しているような手仕事のあり方に、中川氏の未来への確かな志向が重なり、工房は若い人たちの声と、すがすがしい空気に包まれていた。(写真・文:俳優・クリエイター、京都国立博物館文化大使 井浦新(いうら・あらた)/SANKEI EXPRESS

 ■いうら・あらた 1974年、東京都生まれ。代表作に第65回カンヌ国際映画祭招待作品「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(若松孝二監督)など。ヤン・ヨンヒ監督の「かぞくのくに」では第55回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。

 2012年12月、箱根彫刻の森美術館にて写真展「井浦新 空は暁、黄昏れ展ー太陽と月のはざまでー」を開催するなど多彩な才能を発揮。NHK「日曜美術館」の司会を担当。13年4月からは京都国立博物館文化大使に就任した。一般社団法人匠文化機構を立ち上げるなど、日本の伝統文化を伝える活動を行っている。

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