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学生ボランティアが家屋修復 巨大台風被災の比クリオン島

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学生ボランティアが家屋修復 巨大台風被災の比クリオン島

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 【ソーシャル・イノベーションの現場から】

 1906年にハンセン病患者の療養所が設けられ、一時は約7000人もの隔離患者が暮らしていたフィリピンのクリオン島。瀬戸内海に浮かぶ長島(岡山県)に30年に設置された現在の「国立療養所長島愛生園」は、クリオン島の療養所をモデルに建設されたといわれており、日本との縁も深い。

 大震災支援の恩返しも

 首都マニラの南西・パラワン諸島の北端に位置するこの島も、昨年(2013年)11月にフィリピン中部を襲った巨大台風で被災。島民約2万人に死者こそ出なかったが、電気や水道などのライフラインは途絶え、病院施設や家屋が崩壊するなど甚大な被害が出た。

 島にある総合病院の院長で、ハンセン病の治療に当たっているアルテウロ・クナナン氏によれば、台風から数カ月後にようやく、家屋の修復に必要な物資が島に届いた。しかし、病気の後遺症で手足が不自由な人も多く、作業を行うことができず、被災したままの家屋でいまも暮らしているという。

 そこで、40年以上にわたってハンセン病患者・回復者の支援に取り組んできた日本財団に支援を要請。東日本大震災の復興支援でも活躍している「日本財団学生ボランティアセンター(Gakuvo)」と連携し、被災家屋の修復に当たる大学生のボランティア隊を日本から派遣することになった。

 現地に調査団が入ってから1カ月余りで体制を整え、2月12日に第1陣の18人がクリオン島に向け出発した。

 ハンセン病についてはほとんど知らなかったという学生たちは、どうしてこの活動に参加しようと思ったのだろうか。

 「東日本大震災で、発生直後からフィリピンは支援の手を差し伸べてくれたと聞いた。その恩返しがしたい」(宮城学院女子大学の作間温子さん)

 「とにかく今困っている人がいると聞いて、手助けしたいと思った」(日本文理大学の塩崎敦史さん)

 出発前につづられた思いはさまざまだ。フィリピンの被災地が、3年前の東日本大震災の光景と重なり、参加を決意した者も多かった。

 交流、島民の心癒やす

 マニラから空路でブスアンガ島に入り、ボートに乗り換えてクリオン島に渡った。回復者を代表して挨拶したヘルミディア・コンセプションさん(75)は「家が大破して絶望していた私は希望に満ちあふれた」と、涙ながらに感謝の言葉を述べた。その後、一行は島内を歩きながら被害状況を確認した。あたりを見渡せば、屋根が崩れたり、壁に穴が空いたりしたままの家屋が目につき、台風の爪痕が残されていた。

 修復作業はまず、1チーム5人前後に分かれて行われた。崩れた屋根の修繕で済むところもあれば、全壊していて建て直す必要があるところもあった。地元の大工の指示に従い、学生たちはノコギリで木を切ったり、くぎで天井板を取り付けたりする作業に従事した。

 大工経験のない学生には困難な作業が行われているときも、日本語を教えたり、折り紙で遊んだりするなど、自分たちにできることを見つけて活動していた。

 住人の一人のヒポリット・ユーリン・ミアノさん(71)は「日本から学生ボランティアが駆けつけてくれたことに私は心から感謝している。本当に素晴らしいことだ」と、修復を終えた自宅を見て笑顔で語った。

 単に家屋を修復するだけであれば、現地の大工に資材と資金を提供すればよい。だが、ボランティアが入って作業をすれば、被災で傷ついた島民の心を癒やし、希望を持ってもらうことができる。

 3月末までに4陣で約80人が現地に入り、修復した家屋はプロジェクト全体で計35棟になった。参加した学生は帰国後も、フェイスブックなどで島民と交流を続けている。

 クリオン島と日本、そしてハンセン病患者と若者をつなぐため、参加者には島での経験を周りにも伝えてほしい。(日本財団広報チーム 宇田川貴康/SANKEI EXPRESS

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