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台湾に「第3次国共合作」迫る中国
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中台関係の主な動き=1949年12月~2014年2月
中国の習近平(しゅう・きんぺい)指導部が台湾に対し、尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐる日本との対立を持ち出して、「共闘」を呼びかけている。
中国が釣魚島と呼ぶ尖閣の領有権を主張するにあたって、「釣魚島は台湾の一部であり、台湾は中国の一部だ。すなわち釣魚島は中国の一部だ」との考えがまかり通る。台湾統一を悲願とする中国にとり、尖閣は問題の同一線上にある。
韓国に続いて台湾も取り込んで“対日包囲網”を形作り、同時に台湾統一も狙う中国の思惑が透ける。
1949年の中台分断から65年を経て、今年2月11日に江蘇省南京市で初の閣僚級公式会談にこぎ着けたその7日後、習近平氏(60)は中国共産党総書記として、台湾与党、中国国民党の連戦(れん・せん)名誉主席(77)を北京市に迎えた。
中台は双方の政権を承認していないが、2005年以来、共産党と国民党の党間で対話を進めている。
習氏は連氏に、「120年前に中華民族はやせ細って台湾が侵略された」と指摘。日清戦争(1894~95年)の勝利で日本が清朝から台湾割譲を受けたことを、「極めて悲痛な中華民族の歴史だ」と述べた。
台湾も尖閣領有を主張しているが、一方で昨年(2013年)4月には日本と尖閣海域での漁業取り決めを結ぶなど、現実的な問題解決の道も歩む。日米とのバランスの上で、対中関係で現状を維持したいのが台湾の本音だろう。
ただ、台湾が願う現状維持はいつまで続くか。拓殖大学海外事情研究所の渋谷司教授は、「台湾に対して中国は2015年末までに“第3次国共合作”への合意を迫るだろう」とみている。
共産党と国民党は1945年以前、「軍閥」と「日本」という共通の敵を前に2度にわたって共闘態勢を築いた歴史をもつ。共産党と国民党がいま改めて共闘すれば歴史的な“第3次国共合作”ができあがる。
渋谷氏が15年末が期限と話すのは、16年に台湾の総統選と米国の大統領選を控えるからだ。中国からみて御しやすいとされる国民党の馬英九(ば・えいきゅう)政権とオバマ政権に政策運営能力が残るうちに、統一の道筋をつけたいと習指導部は考えているという。
だが、閣僚級会談や連氏との会談を通じて国民党主席も兼務する馬氏の年内訪中を実現させ、抗日共闘と中台統一に向けた政治対話に踏み込みたいと考えていた中国のシナリオは、ここにきて狂いが生じた。
中国との「サービス貿易協定」承認に反対した台湾の学生らが3月から4月にかけ、立法院(国会に相当)の議場を占拠するなど抗議行動を続けた。学生らは「サービス貿易協定の先に中台統一がある」とニオイをかぎわけ、中国の戦略に引きずりこまれかねない国民党の馬政権を批判してきた。
このまま馬氏が協定発効や訪中を強行した場合、世論が反発して次期総統選で国民党が敗北し、政権交代によって台湾が再び中国から遠ざかる事態も考えられる。民主主義の価値観を日米などと共有する台湾の住民が、画一的な歴史観を掲げる共産党との共闘を受け入れる可能性は小さい。
学生らが議場占拠から退去し始めた今月(4月)10日、訪中先の海南省で李克強(り・こくきょう)首相(58)と会談した台湾の蕭万長(しょう・ばんちょう)前副総統(75)は、「両岸(中台)関係は過去数十年で最も安定し、成果を上げている」と緊密な関係を演出してみせた。だが、中国はむしろ一筋縄ではいかない台湾に警戒感を抱いている。行方はまだ読めない。(上海 河崎真澄/SANKEI EXPRESS)
1949年12月 蒋介石率いる国民党政権が中国共産党との内戦に敗れ、台北に移る
1939年4月 中台の交流窓口機関トップがシンガポールで初会談
1999年7月 台湾の李登輝総統が「二国論」提起
2000年5月 台湾で民主進歩党(民進党)初の陳水扁政権発足
2005年4月 国民党の連戦主席と中国共産党の胡錦濤総書記が北京で60年ぶり国共トップ会談
2008年5月 台湾で国民党の馬英九政権発足
2008年6月 北京で10年ぶり交流窓口トップ会談
2008年7月 中国人の台湾団体観光解禁
2008年12月 三通(通信、通商、通航の直接解放)実現
2010年6月 経済協力枠組み協定(ECFA)調印
2013年10月 主管官庁トップがインドネシアのアジア太平洋経済協力会議(APEC)で初顔合わせ
2014年2月 主管官庁トップが中国・南京で初の公式会談