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生きる奇跡に敬意を払う想い 佐野元春・雪村いづみ 豪華共演盤「トーキョー・シック」
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1953年に15歳でデビューし、美空ひばり(1937~89年)・江利チエミ(1937~82年)と3人娘と呼ばれた雪村いづみ(75)のデビュー60周年を祝し、佐野元春(57)が自らとのオリジナルデュエット曲「トーキョー・シック」を含む同名アルバムと、貴重な映像を含むベスト盤をリリースした。
「50年代のダンスホールでは、ビッグバンドが生演奏をしていた。僕の両親が恋人として通っていた新橋のダンスホールで歌っていたのが雪村さんだった。『トーキョー・シック』は、往年のビッグバンド編曲の前田憲男さんとベテランのジャズメン、録音の行方洋一さんという第一人者をそろえて作った」
ブックレットに載る佐野の母親は驚くほどの美人だ。佐野は幼少時から、そんな母に音楽的な示唆を与えられたという。
「母はジャズ喫茶を青山で営んでいて、そこにはSP盤も入ったジュークボックスがあり、自分は幼い頃からエルビス・プレスリー、ジャズやラテン音楽を聴いて育った」
佐野の誕生日は、エルビスの米国デビューアルバムが発売された日。佐野と「ナイアガラ・トライアングルvol.2」を作った大瀧詠一(1948~2013年)は、佐野のライブを初めて見た時「エルビスのようだ」と思ったという。そんな物語も母の嗜好(しこう)から出発したわけだ。
「両親が愛した雪村さんの歌声は、焼け跡から出発した戦後の東京で、かけがえのない復興の響きだった。家もモノも何もかも失った民衆に、天才的にスイングする歌声でワクワクした気持ちを与えたのだと思う」
雪村いづみは、時代離れ、日本人離れした超絶歌唱テクニックの持ち主であり、それは今回の録音にも十二分に表現されている。
「雪村さんは、当時のアメリカへオーディションなどに武者修行で単身飛び込んだ。そしてビートルズも出演した、有名なエド・サリバン・ショーにも日本人として初めて出演した」
日本を復興に沸かせた雪村いづみは、欧米のレベルを軽くクリアし、当時のモダニズムを体現していた。そして今回、佐野の作った「トーキョー・シック」も単なるノスタルジアにとどまらない勢いと情趣にあふれたアグレッシブなジャズポップスとなった。そこには佐野の秘めた想いがあった。
「3.11以降、われわれは戦後と同じような荒廃を体験した。ソングライティングはこの状況を乗りこえられるか、それが自分の課題だった。安易な連帯ではなく、生きる奇跡に敬意を払うこと。トーキョー・シックはそうした想いから生まれた曲だ」
この2枚のアルバムには一本の長編映画にも匹敵する壮大なロマンが背景にあった。(アーティスト・作詞家 サエキけんぞう/SANKEI EXPRESS)